XJR さんとは去年の 5 月以来のツーリングに出かけた。当初の計画は
阿蘇で野宿ツーリング
8月21日の XJR さんからのメールによれば、「阿蘇に行く計画中、まだ夢の段階」というような内容だった。「ツーリングが夢」という、過酷な XJR さんの状況を思うと、是非とも実現したかった。野宿なんてやったことないが、岐阜で初めてバーベキューをして「キャンプも面白そうだ」と思い、XJR さんに提案してみた。
熊本の地震以来、何度も走った景色が「潰れた」状況をメディアを通じて観るのは、とても辛かった。亡くなった方々が住む側を走っていたことを思い出すと、堪らない気持ちになった。
被災地への支援の方法は様々だと思う私は、自分にできることは、いつものようにバイクで阿蘇をかっ飛ばすことだと思っていた。ただ、野次馬根性は皆無で嫌悪してるので、行くタイミングを自分なりにずっと思案していた。「バイクでかっ飛ばす」ことに引け目は一切ないが、こんな状況では、「無神経な連中」と被災地で思われるのが非常に嫌だった。
注意:これは、あくまでも私の考えであって、ライダーの方々が支援目的で行って頂くのに異論はない。むしろ、その行為を応援する。単に、私ができないだけ、気持ちの問題なのだ。
あの震災後、是非とも訪ねたい場所があった。
阿蘇神社
報道でしか見ていない崩壊した阿蘇神社を、この目に焼き付けたいと思った。何度も行った阿蘇だが、阿蘇神社は行っていない、その存在すら知らなかった。
繰り返すが、私には「野次馬根性」はない。「そっとしておく」が「優しさ」という場合が多いから。ただ、今回の「潰れた阿蘇神社」は見たいと思っている。「見なければならない」とさえ思っている。
自然の力、ヒトの儚さ、現実、愚かさ、そして幸福
そんな何かを「潰れた阿蘇神社」から感じたいと思ったのかもしれない。
定まらない日程
8月29日、ツーリング日程は9月7, 8日と決定した。しかし9月4日の XJR さんのメールで延期が決定、理由は台風のため。その後も天候不順、私の仕事の都合など、日程調整は難航した挙句、10月18, 19日に決まった。
そして10月8日未明、阿蘇山噴火、
日本のニュースを積極的には見ないようにしてるので、この出来事は 9 日の XJR さんからのメールで知る。一旦は、ツーリング日程を1日ずらして10月19, 20日にした。
しばらく、「阿蘇山が36年ぶり爆発的噴火、入山を規制」などのネット情報を読む。そして、実家へ所用で帰省した際に見たテレビのニュース報道では、火山灰による作物被害の後に「宿泊キャンセル増」の報道、阿蘇市長らしき人が「是非、阿蘇に来てください」とアピールしていた。複雑な心境でその報道を眺めた。
ツーリング日程は10月19, 20日だが、目的地は別府方面に変更した。阿蘇神社訪問は断念した。この時期に「バイクでかっ飛ばす」ことに躊躇したに他ならない。「クルマで観光」ならば率先してやっただろう。やはり気持ちの問題なのだ。
走行ルート作りは XJR さんに一任した、私が不得意な分野だから。別府を中心としても、阿蘇近辺を「かすめる」ルートに納得した。少しでも「今の阿蘇」に触れることができるし、何らかの直接的な応援を送れるような気がした。
阿蘇への想い
所詮「バイクでかっ飛ばしてるだけでしょ」と言われれば返す言葉もない。ライダーじゃない人には言われたくはないが、はたから見ればそう言われても仕方がないだろう。そんな意見に耳を貸すつもりはないが、私の阿蘇への気持ちはもっと複雑なのだ。
長年の都会暮らしからこちらに戻ってきて、本格的にバイクに乗り始めてツーリングをすると、阿蘇は特別な場所になる。単純に景色を眺めるのも良い。日本の四季を情緒豊かに、そしてダイナミックに体感できる。
そして
自分とバイクと阿蘇
一体感
だろう。
バイク:お前、相変わらず下手やな。
阿 蘇:イマイチやな。こっちの道はどうや?
りんだ:おぉ、こんな良い道もあるんや!!
というデフォルメした感覚がある。阿蘇への複雑な想いを表現するとこうなる。
今回は別府を中心としたものだったが、XJR さんの「山の知識」や、多くの登山客を眺め、自らも「プチ登山」を体験すると、この想いはますます強くなった。
やっぱ、阿蘇はロックだよ
これが私の今の、阿蘇への最大の賛辞だ。ちなみに、「阿蘇は岩」て意味じゃないからね(笑)
「全ルート」に続く。
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