2016年10月19日水曜日

ロックツー:正義の味方が登場する時

全ルート」からの続き。

ツーリング初日の朝に食ったのは、昨日の昼飯の残りの「豚の生姜焼き」と


これらは、おとこめしレシピに他ならない。

いつもの 5 時起きは、昨夜「三愛レストハウス」までのルート思案中に変更した。5 時に目が覚めるも、あと一時間寝た。起きてから、のんびりと朝飯の準備。8時35分のフェリーには余裕だろうと、大雑把な私のいつもの癖で、のんびり活動。大雑把なのもあるが「朝飯好き」なのもある。焦っても、美味い朝飯は食えないのだ。

ということで出発は7時10分頃、昨日の準備のおかげで、余裕を持って活動した。ただ、そんな余裕は往々にして裏切られるもの...。とはいえ、そんなことを心配して「カツカツに生きる」のなんて嫌だとも思う。


不自然な田舎の大渋滞

出発してしばらくして、「長崎市街地方面と逆は混んでない」との予想は大いに裏切られた。

なんじゃ、この渋滞は!!

まぁ、東京や大阪に比べれば大したことはないが、帰省時期じゃないのに、こんな田舎でこんな状況は初めて知る。「良い経験になった」というより、クルマが溢れる田舎に、ちょっと悲しくなった。

渋滞中に嫌なことはあったけど、忘れるために割愛する。

これは「8時35分の出航に間に合ったの図」。

前回の教訓で、前日に給油していたのは良かったが、あの渋滞は予想外。なので、走ったことがなかった近道を急遽試した。進行方向は間違いないとの核心はあったが、出口がハッキリしなかったがやってみた。

「あぁ、ここに出るのね」という場所に来た瞬間は、フェリー乗り場と逆方向を走っていたのでUターン。この時点では「遅刻確定か?」と焦っていた。

しばらく走り、「フェリー乗り場まで**分」の看板を見ると

おぉ、余裕だなこれ

となった。実際、到着したのは出航 20 分前、それが先の写真。


「DUCATI カッコ良いですよね」

こうやっていつものように「固定」。
こうなるまでに、5 分ほど待たされて乗船。

このようにバイクを固定するのは男性添乗員約 3 名。「そこに重石おいて、バイクに傷つかないか?」と、毎度違う固定の仕方に疑問はあるも静観した。そのうちの 20 代前半風の若者が、舐めるように私のバイクを眺めながら

ジャケットも Ducati なんですね
カッコ良いですよね Ducati !!

と、満面の笑みで話しかけてきた。

他の従業員も気にせず軽快に話かてきたのに驚いた。有明フェリーで何度もバイクを乗せてきたが、こんな風に話しかけられたのは初めて。乗客でさえ話しかけてこなかった。

 若 者:これ、何年になります?
 りんだ:4 年ぐらいかな。
 若 者:速そうですね(笑)
 りんだ:速いよ(笑)
 若 者:今日はどこまで、阿蘇ですか?
 りんだ:うぅ...、別府、阿蘇、ていう感じかな。
 若 者:なるほど、お気をつけて(笑)

私の方が他の従業員を気にして会話を控えたが、若者はそんなの「お構いなし」という風情だった。私のバイクを褒めてくれたよりも、そんな若者の振る舞いに好感を持った。この若者の挙動は

自分の欲望に正直

と思えた。そんなことが、妙に規制されてる昨今の日本のようで、余計にそう思えた。この若者を、今回のツーリングで出会った最初の「ロックな奴」と称する。


正義の味方は登場しない

乗船したら少し眠ろうと思ってたが、若者との会話のおかげで、テンション上がって眠気は失せた。

年に一度あるかないかの船旅なので、余計に船上での景色が沁みる。近くを飛行するカモメをボンヤリ眺めるのは悪くない。しかし、映画版の「フィッシュストーリー」何度も観てしまったので、思わず

シージャック

を想像した。

「そんな時」に備えてファイティングポーズしてみたが、こんな短時間の船旅でシージャックはありえないと苦笑い。

分かりやすく「正義の味方の力」を発揮する場は
この世の中に多くはない。

カモメもいなくなったので、通常の客席に向かったが、入った瞬間に嫌な気分になった。二つもある大型テレビが、NHKの番組を「大音量」で流していた。再び外に「逃げよう」としたが、客席奥にある入り口が気になった。何となく「別料金徴収するよ」的な雰囲気だったが、近づくと単に「禁煙室」のようだ。

中はこんな感じ。
私の有明フェリーのイメージを覆すほどのゴージャス感。

タバコをお吸いにならなければ
こんな部屋をお使いできますよ

そんな「WHO のメッセージ」や「嫌煙家のヒステリー」が聞こえてきそうだ。

微かに隣部屋のテレビの音は聞こえるが、ここなら快適だ。

タバコなんかより
テレビ放送の方が有害

と確信した瞬間だった。

正義の味方が活躍する場より、「隠蔽された悪」が暗躍するのが圧倒的多いのが現実。「道徳を公共のメディアで主張」は、私にとっての「隠された悪」。それを正すことは容易じゃないし、そもそも奴らが「正義」と思ってるところが厄介だ。単純な「勧善懲悪」な物語にリアルさはない。悪と善の双方の主張を描いてこそだと思う。

そしてふと気付いた。やるべきことは、「正義の味方が登場する時を待つ」ことではないのだ。「自分ができる正義」を貫けば良いのだ。


これが私ができる正義で、「自己中心的」と「政治家」の真逆にあるもの。「助けらない人を、助けてるふりをしている」、そんな偽善者とは真逆の姿勢で臨みたい。

可能なかぎりロックな生き方をしよう

そんな風に思った。

念願の『べんとうのヒライ』」に続く。

0 件のコメント:

コメントを投稿