ブログのために写真を撮ったりとかはしたが、ブログを書くという目的のために行動したことは一度もない。ブログを書くことで、体験したり発生したことに想いを巡らせ、結果として次のアクションを起こしてその結果をまたブログに書く... その繰り返しだった。
非常に楽しい行為であることは間違いない。メリットは色々あるが、中でも気に入っているのが、思いもよらない方から「読んでるよ」と言われ、更にそのブログの内容で 現実世界の会話で 盛り上がること。
そして今日この日は911同時多発テロの発生の日でもある。このブログを開始した1年前も若干の記述をしたのだが、1年後の今も事件のことを上手く語る方法を見つけられない。
今回は少しだけは書いてみることにした。
この事件そのものに衝撃を受けたのは事実だが、それ以上だったのはその後のアメリカの行動と事件そのものへの疑惑であった。今でこそ多くの 陰謀説、自作自演説 などが取り上げられているが、事件発生の1,2ヶ月後にはすでに疑惑は持ち上がっていた。英文ばかりだったが、必死で読んだ。しかし当時の周りの雰囲気から、そのことを誰にも話すことは出来ずに一人悶々と考えていた。所詮は海の向こうの事件だから関係が無い、怖いのはテロリスト そんな雰囲気だった。
一年余り多くの情報を追いかけたが、変わらないアメリカの雰囲気に嫌気がさして、それも止めてしまった。その後は、911のことやアメリカのことを考えるのを強制的に拒否した(フランス語を勉強したのも逃避方法の一つだったのかもしれない...)。
その当時に私が知った疑惑は、本国アメリカの一部のジャーナリストやグループの主張のもので、インターネットへの公開を積極的に行っていた。勿論、彼らの主張は 狂乱の愛国心 に完全にかき消されていた。
今でも覚えている最大の疑惑は
ハイジャックされたジェット機に対して
何故にスクランブルがかからなかったのか?
何故にスクランブルがかからなかったのか?
つまり、何故ハイジャック機を打ち落とさなかったのか?ということ。国防の要のペンタゴンにまで突入された(と主張しているが...)というのに、である。そこまでアメリカの国防は無防備なのか?1999年のプロゴルファーのペイン・スチュアート氏が乗った小型機の異常の際にはスクランブルがかけられているのに何故今回は無かったのか?
導き出せる結論は
アメリカの当局者は知っていた。
もしくは容認した、看過した。
もしくは容認した、看過した。
では何のために?
ネオコン台頭
「そんな疑惑ってアメリカには多くあるよな~」と思いたいのが正直な意見。確かに多くのことは無視していると思う(無視しないと日々の生活はできない...)。しかしそんな私でも、この事件と「ケネディ暗殺」については流したくはない。
ケネディ暗殺の証拠物件の公開は2039年まで制限されている。その時は資料紛失もしているだろうし、証言者も居ないことから事件は実質的に闇に葬られたことになる。911事件もその一つになるのだろうか?
遺族の悲しみ、愛国心 の前に大切な何かを亡くしていたアメリカだったと思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿