2010年10月9日土曜日

Lost in Translation (2003 US Movie)

監督:ソフィア・コッポラ
邦題:ロスト・イン・トランスレーション

脚本もソフィア・コッポラで、日本に滞在した頃の半自伝的作品とのこと。

Godfather III の演技を酷評されてしまったソフィア。でも、私は演技云々というよりもソフィア・コッポラは 気になる存在 でした。なので、このように彼女の監督作品、しかも面白い作品で再会できるのは嬉しい。


主演の Scarlett Johansson(スカーレット・ヨハンソン)をこの映画のポスターで見たとき、最初はソフィア・コッポラ自身かなと思った。今ではその違いは明確だが...。他の作品は観てないが、非常にキュートで癒されました。

本作品は、外国人から観た日本が良く分かる。特に アメリカ人から見た視点 だとこうなると思う。

"Lost in Translation" のお堅くダメダメな邦題なら翻訳失敗てな感じだろうか。しかしながら、描かれているのは単にアメリカ人と日本人の不調な意思疎通だけではない。同じ言語と文化を持つもの同士、夫婦、恋人、仕事仲間、といったあらゆるコミュニケーションの不調、失敗が描かれている。

日本語以外の言語で、他文化の人たちとコミュニケーションするのは楽しいと、僕自身は思っている。多くの場面で "Lost in Translation" してしまうのだが、そもそも文化が違うので、コミュニケーションを持続したいならば、お互いが譲り合わなければならない。こうやって続けていければ、徐々に「失敗」 しないコミュニケーション関係ができあがる。

これって、同一文化同士、つまり日本人同士でも同じ ではないでしょうか?「阿吽の呼吸」とか「空気読め」なんていう態度はコミュニケーションを否定していると思う。限定された人たちだけの チッチャな世界 。それこそ「ガラパゴス」、この映画のように 珍獣のように観察される だけ。

僕らのどのくらい後の世代から、アメリカに卑屈にならない世代 なのだろうか? 僕自身は中間にいると思う。アメリカ人が相手でも卑屈にはならないが、卑屈になっている同世代の気持ちは非常に理解できる。そんな卑屈な人たちが、中国や東南アジアの人たちに対しては態度が豹変するのを見ると、やはり 戦争の影響 は否定できない。

色々な局面において "Lost in Translation" していることに気づくことが先ずは大切。より良いコミュニケーションをしたいと思うならば。

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