邦題 まぼろしの世界
If the doors of perception were cleansed,
everything would appear to man as it truly is, infinite.
もしも「知覚の扉」が浄化されるとしたら
全ての物事はありのままに、無限に見えることだろう (訳:りんだ)
これは詩人ウィリアム・ブレイクの詩の一節。これが The Doors のバンド名の由来だ。
先日のちょっとした出来事で The Doors の曲を思い出してしまったからではないが、この映画の存在を一昨日気づき、直ぐに観た。既に劇場公開済みでDVDも発売済みだった。評判もすこぶる良い。
The Doors をちゃんと聞き始めたのは大学卒業後、社会人になってからの頃だと思う。ファーストアルバムだけは大学の頃に聴いていた。というのも、学生最後の定期演奏会でファーストアルバム収録の Break On Through (To The Other Side) をバンドで演奏したから。
社会人になってから The Doors が私の好きな作家やミュージシャンに少なからず影響を与えたことを知り、本格的に聞くようになった。のんびりと全アルバムを集めながら、徐々にその音楽が大好きになった。その頃の自分のバンドでは、残念ながら Roadhouse Blues の一曲だけしか演らなかった(私はスライドギター担当、演奏して楽しい曲だった)。
The Doors の楽曲にのめり込むと、傾向として良くあるようなボーカルの Jim Morrison (ジム・モリソン)への興味の高まりは、何故か無かった。彼のボーカルも詩も大好きだったが何故かそれ以上の興味は持てなかった。同じ27歳の若さで逝ってしまった同じ「J」で始まる名前の Jimi Hendrix, Janis Joplin ほどには興味を持てなかった。
その理由の一つは彼のステージパフォーマンス。それほど観てはいなかったが、楽器を手にしない他のボーカリスト専任のパフォーマンスと比べて惹かれるものがなかった。「奇行」とさえ私の目には映っていたかもしれない。
そしてもう一つが、1991年のオリバーストーン監督による映画「ドアーズ」を公開直後に観て、Jim Morrison に対して変な先入観を持ってしまったからかもしれない。最近知ったところでは、この映画が真実を描写していたかどうかは、ファンの間でも異論があるようだ。これを知って少し安心したのと同時に、もう一度この映画を観たくなった。
そして、あのジョニー・デップが全編に渡るナレーションを担当している。抑揚を抑えた彼の声がとても良い。中立的な表現でありながらも、The Doors というバンド、Jim Morrison という人間を十分に浮かびあがらせていると思う。ちなみに、彼はジム・ジャームッシュ作品「Dead Man」でウィリアム・ブレイクを演じ、映画「パイレーツ・オブ・カリビア」のビジュアルモデルは彼の提案でThe Rolling Stones の Keith Richards という様々な繋がりを感じてしまう。
本当に良い映画でした。The Doors というバンドのことをちゃんと知れたし、それ以上に本当の Jim Morrison を少しだけ理解できたように思えた。彼はバンドのボーカリストとしての自分自身にずっと違和感を持っていたようだ。そして、そんな彼の意に反して熱狂する周囲とのギャップに苦しんでいたようだ。だから死んでしまった、などという無邪気な結論ではない。そんな結論では どこか物悲しい...。
あのような狂乱の時代をこれから体験することになるかは分からないが、Jim Morrison のような存在を体験するのはもうあり得ないと思う。
ただ、これまで通り The Doors の音楽を僕は楽しむだけだ。The End のその時まで。
あのような狂乱の時代をこれから体験することになるかは分からないが、Jim Morrison のような存在を体験するのはもうあり得ないと思う。
ただ、これまで通り The Doors の音楽を僕は楽しむだけだ。The End のその時まで。
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