Bruce Lee の想い出は書くと止まらなくなり、本日の趣旨とは外れるので最小限にする。
Bruce Lee はウルトラマン(厳密には怪獣たちなのだが)に継いで僕のヒーローになった。小学生の頃。ウルトラマンはとっくに放送が終わって、動く映像はほとんど観れなくて、怪獣図鑑を熟読して想像を膨らませるしかなかった。その点、師匠(もう、ここでは Bruce Lee を師匠と呼ぶことにする!)は動く映像を観れた。今ほど容易には観れなかったが、「ドラゴンへの道」は繰り返し月曜ロードショーで放送してくれていたように思う。もちろん、師匠の伝記やロードショー、スクリーンの特集号は 食い入るように読んだ 。
そして、何といっても「死亡遊戯」は劇場で観たのだ。公開は1978年なので、一人で映画館に行ける歳ではないので、誰かに連れて行ってもらった。そして記憶に残ったのは、当然最後の11分の本物の師匠の格闘シーンだけ。子供心にも偽者の師匠 の姿は判別できたようである。
ここで最後の11分のことを書くのは野暮なので省くが、あのシーンは概ね師匠が残した全シーンだと思っていた。最初に観てからずっとそう思ってきた。読み漁った書物からも特に疑ってはいなかった。むしろ、師匠が残したものを上手く作ったなぁ、とさえ思った。
それが違った!!多分、ファンの間では常識だったのでしょうが、私は先週になってようやく知った。そして今夜、その映像を見ることができた。
残念ながら「ブルース・リー・イン G.O.D 死亡的遊戯」ではないが、師匠が残した格闘シーンの全てを観れた。すべてという訳ではないだろうが、「死亡遊戯」での編集と師匠の意図は違うように思える。とにかく「死亡遊戯」では、多くの残されていたシーンがカットされていたのである。簡単な違いを一つだけ挙げれば、あの塔に師匠は一人ではなく、二人の格闘家と一緒に登っていたのである。なので、「死亡遊戯」ではその二人が映っているシーンはカットされることになり、併せて多くの師匠の映像もカットされてしまったのである。
本当の Game of Death (死亡遊戯)、師匠が作ろうとしていた作品を想像するだけで、本当にビビッてしまう。早過ぎた死を悔やまないわけにはいかない...。
師匠は格闘技をアート(芸術)
映像美として高めた大きな功労者
だと思う。というカッチョ良い表現じゃなくても、師匠の動きを観るだけで 僕の身体は軽やか になる。
冒頭の師匠の画像(著作権無視で掲載中...)は、僕の会社のサブ Linux PCの壁紙。そこに師匠の言葉がある
Willing is not enough; we must do.
Knowing is not enough; we must apply.
やろうと思うだけでは不十分だ
実行しなければならない
知っているだけでは不十分だ
使わなければならない
僕の稚拙な訳だが、そういう風に心に留めている。
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