この写真と彼女の仕事を知って、あなたは何を思いました?
「見た目で判断した」ということがあったのは事実だが、それ以上の感想はない。むしろ記事になるほどなので、「どんなエンジニア」なのかの「本質」に興味を抱いた。
以下、VOAの記事を元に記す。
上記写真で、発信元を「黒」で消してある右側には、この広告に対するソーシャルサイトの書き込み。「彼女がエンジニアであるはずはない」などの、勝手な憶測が飛び交っている。日本的には「美人すぎるエンジニア」とかになるのだろうか...。
この騒動を受けて、彼女が書いたブログ You May Have Seen My Face on BART には、「あなた方の多くが私のことを知っているとは思えない」から始まる以下の一節がある。
I doubt that most of you know me. I am a passionate self-taught engineer, extreme introvert, science-nerd, anime-lover, college dropout, hip hop dancer, yoga teacher/hoop-dance teacher, really authentic friend and HUMAN(omg?!). In fact, if you knew me you would probably know that being famous is one of my biggest nightmares; seriously right up there with falling into a porta potty. I keep to myself most of the time and generally prefer when others mind their own business too.
相当な迷惑を被っているようです、そりゃそうだ。
ここで終わらないのが彼女の素晴らしいところで、#ILookLikeAnEngineer という活動を Twitter 上で起こしたのだ。
The goal is to raise awareness that appearances do not limit your own personal ability to work in STEM [Science, technology, engineering, and mathematics].
その目的は、STEM(科学、技術、エンジニアリング、数学)の個人の能力を、その人の見た目で判断しないという意識を盛り上げること。
当たり前のことのようだが、実際にこのような「差別」は至る所にある。そんな差別は全くもって非生産的で、以下の彼女のコメントのように「近い将来必ず来る a more diverse STEM community」には、こんな差別なんてナンセンスなのだ。
In time, I hope these issues will not be as great as they are today. By increasing the amount of strong diverse role models, encouraging and seeing corporations take responsibility for creating an inclusive environment and standing up for our individual self to achieve our dreams, we will create a more diverse STEM community.
女性エンジニアの話題としては、Debbie Sterling を半年ほど前に取り上げたが、彼女もある意味「差別」を受けたことを TED でも紹介していた。
Debbie のプレゼンのように、現在まで女性のエンジニア少ないのは、性別とは無関係なのだ。ましてや見た目の良し悪しで、エンジニアの質の良し悪しなんて判断できるはずはない。
Isis が言うように by increasing the amount of strong diverse role models の時代なのだ。米国でこんな状況なので、日本の状況はもっと深刻かもしれない。
見るべきところは他にあるでしょ?
「太ったね」「髪伸びたね」「誰それに似てきたね」などなど...、見た目のことを話題にする人は多い。あるいは、見た目のことだけしか話さない人もいる。ネットでも散見される「劣化した」なんて、その最たるもので、目に入る度にうんざりする。
そんな人たちは「見た目のことしか話せない」のだと私は判断して、極力無視している。どんな知り合いであっても、心の中では「だから何?」とやり過ごしている。
その人の仕事や興味の対象などの「目に見えないこと」を知らずに、その人のことを何故に語ることができるのか私には理解ができない。
結局のところ、見た目だけの、上っ面の評価しかできないという能力不足です。「発言の自由」はあるかもしれないが、それによって傷つく相手への配慮が欠けた発言に「自由」を与えても良いものだろうか?
日本では、こんなステレオタイプ的な認識が、未だにまかり通っているように思える。
女は男より感情的で
論理的に物事を考えられない
私が好ましいと思う人たちからは、男女も年齢も問わず、久しぶりに会ったとしても、見た目で判断したコメントは少ない。私の好みの人が、決して「私自身と同じような人」ということではなく、彼らは比較的話題が豊富な人たちで、「見た目の話題」など問題にしていないからだろう。
誹謗中傷まがいのネットへの書き込みにはウンザリするが、彼女が起こしたような #ILookLikeAnEngineer 動きに繋がったのは喜ばしい。有象無象がひしめくネットの社会だが、こうやって正しい動きが誕生して修正されていくのもネットの持つ力だろう。
先ほど聞いた、先週配信の「バイリンガルニュース」が取り上げた記事が興味深かった。それは「米ターゲット、売り場の性別表示撤廃へ 子ども用玩具など」というもの。女の子が車の玩具で遊んで、男の子がバービー人形で遊ぶことに、偏見がなくなる日が来るかもしれない。
「男らしさ女らしさ」とは、社会や文化が産み出したものであり、生まれながらにして持つ能力や特性とは無関係と考える。数学の得意不得意も、エンジニアリングの能力も、結局は努力次第で、性別の違いなんて無関係。ましてや「見た目」なんて...。
見るべきところは他にあるでしょ?



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