「マルチタスク」は、コンピューターのタスク管理の意味では非常に理にかなっている。Unix を先に使っていた私は、ゲイツの初期Windows はマルチタスクではなかった、「バカOS」とずっと思っていた。
人間が行う「マルチタスク」て効率的なのか? と、ここ最近、疑問視していた。「マルチタスク」を強いられる場合は仕方ないとしても、「タスク管理(優先順位管理)」をして一個一個やる方が、結果的には効率的、生産性は高いのではないのか?ということ。
テレビを見ながらの食事より、楽しい会話をしながらの食事の方が美味しい。一人で食べる時でも、今食べているものをシッカリ味わい、時には食材のことを考える方が、体にも心にも良いのではないのか?
ライディング集中力
「もう一度、同じように走りたいか?」と問われれば「No」。良い道でも、続けすぎると「飽きる」。サーキット場なら、難しいコーナーを果敢に再チャレンジできるが、一般道では「難しいコーナーはやっぱり難しい」となって、若干「気分がへこむ」のは否めないのだ。
とはいえ、「二度とこんなことはしない」とまでは言わない、だって「未来は未確定」だから。ただ、喜んで繰り返すには、それなりの集中力が必要なのに気づいたのは収穫だった。幸い、体力と筋力は問題なかった。テクニックは相変わらず無い(T^T)でも、テクニックがあったとしても、集中力とは別の話だ。「無謀な走りで転倒」は論外。
ただ今回、集中力のことを考えながら走って、改めて気づいたことがあった。「頭の中を空っぽにするのは、集中力に関係する」というもの。「空っぽ」とは語弊があるが、厳密には「そのことしか考えない」ということ。
「なんで良い道なのに走りにくいのか」となった「往路#1」のオレンジ海道の終盤、気づいたのは「走り方」。集中力がなければ、そんなことは思いつかない。「やってみよう」という気さえ起こらない。
頭を空っぽ = 集中力
マルチタスクの話との関連で思い出したのは、「バイリンガルニュース」のマミが「スマートフォンから Twitter と Facebook アプリを削除」という話。「空いた時間に何かしないと勿体無い」という気持ち(強迫観念?)から、ついスマートフォンに費やす時間が多くなっていることを防止するためのようだ。
私はスマートフォンもタブレットにも興味がないが、マミが言ってることは理解できる。「何もしていない、何も考えていない」という時間は、思いのほか貴重なのかもしれないのだ。実際「長時間何もしない」なんて有りえない(少なくとも私の場合は)、要は「頭の中を空っぽにする時間」も必要なのだ。
マミと同様に私がしたのは「テレビを見ない」こと。当初は完全に見ない訳でなく、見たとしても1日30分程度だった。しかし、贔屓にしていた番組を2,3日見過ごしたら「もういいか」ということになって、以来まったく見ていない。今週は一度もテレビは「ON」になっていない。
結果、Podcast を聞くようになった。英語学習にも役立つ番組も見つけた。そして、映画や本を読む時間が増えた。自分の足で走り始めた。このブログも長くなる傾向もその一つ(笑)
集中力を高めるには「余計なもの」を排除することから始まるのかもしれない。代わりに「必要なもの」が割って入ってくる。その後また「余計なものは排除」..., その繰り返しだ。そうやって「洗練さ」に向かうのかもしれない。「洗練さとは引き算」なのだ。
再び「集中力」に気づく
再度書くが「頭の中を空っぽに」とは「集中している」と近いことである。
本日、それを走りとは別のことで体験した。
「多良岳農道+オレンジ海道」を走った後、帰宅のルートを考えたが、どの道も「帰宅ラッシュの時間」で走りにくそうだった。そこで考えたのは「帰宅ラッシュが終わる時間まで走らないこと」。
そしてやったのが「読書」。
適当に見つけた「ファミリーレストラン」に入った。驚いたことに、生まれて初めてファミリーレストランに一人で入りました(「一人で行けたデビュー」?)。正直、好きな店の形態ではないのです(特に料理がね...)。
注文したのは「ドリンクバー(400円強)」だけ。そして(たまたま)持参していた本を読んだ、本のタイトルは「素数に憑かれた人たち:リーマン予想への挑戦」、昨夜から読み始めた。「リーマン予想」の本です、というか「リーマン予想」の背景というか、数学の歴史というか、素数の話というか...、まぁ、そんな感じです。
ツーリング途中で読む本ではないと思った。が、持っている本がこれしかなかったので読んだ。「読み進められなかったら走ろう」という感じで読み始めた。
気づいたら2時間近く経過。
店内は静かではなく、ムッチャ濃い「佐賀弁」で喋るオッさんの声が聞こえるが、訛りのために日本語にも英語にも聞こえない風なので、無視することができた。
「調和級数は発散する」「現代の解析学は、無限大や無限小の概念は認めない」「素数定理」、etc.
こんなことを、具体的な数式とグラフと共に、オイラーが生きた時代と数学のことに思いを馳せていると、佐賀のファミリーレストランにいることは忘れた。
「頭の中を空っぽ」にして読んだからだろう。私が考える「集中力」とはこういうこと。
バイクで走っている場合は、「走りに関係することだけを考える」こと。景色を見てノンビリもあるが、最も楽しいのは「走りに集中」している状態。イメージ通り気持ちよくコーナーリングするために、コーナーをイメージしたり、見えないブラインドコーナーの形状を考えたりすること。
これは、私にはスーパースポーツバイクしか選択肢がない理由でもある。
マルチタスク ≠ マルチな才能
「マルチタスク」と「マルチな才能」(英語は multi-skilled, multi-talented)は別物だ。後者は「多芸すぎる」と問題かもしれないが、「一芸にも秀でていない」よりは断然マシ。「マルチタスク」を「マルチな才能」と勘違いしていないか?「一芸にも秀でていない奴」が「マルチタスク」とほざいている気がするのは気のせいか?
まぁ、ここでは誰も非難していません。あくまでも自分に向けた問いかけです。目指すべき方向性を見定めるために。
ここまで一気に書いた。意外にも時間は要していない(後で誤字脱字は修正するが)。これも集中力のなせるワザだろう。
「効率性ばかりが全てではない」ことは知っている。しかし、「効率性を考えない」「生産性を無視する」、そんな先に進歩はない。そう断言する。効率性のことを無視してもよいが、集中力が散漫では、良いものを生まないのはもっと自明だ。
ツーリングは「非日常的」なものではあるが、現実からは逃げられない。どうしても、全てのものごとは繋がっているのだ。ならば、どんな場面からも学ぶ方が良いに決まってる。
週末から来週にかけて、私がやるべき嫌なことからは逃げられないのだ。「嫌なこと」じゃなくなるような工夫をしなきゃね。反省してます。

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