look up, look after, look out for, look forward to, etc文法的な分類ではこれらは「phrasal verbs 句動詞」です。私は正直、この句動詞が苦手です。苦手な様子は後ほど書きます。
今日読んだ VOA Learning English の記事「Everyday Grammar: Introducing Phrasal Verbs」によれば
phrasal verb 句動詞は 5,000個以上
あるそうだ。ちょっと愕然としたが、「まぁノンビリ学ぼう」と思ったし、英語は私が思っている以上にもっと豊かな言語なんだと嬉しくなった。
そんな句動詞について、何となくは知っていたが、本記事で改めて気づかされたことを書く。
注:本文中の訳は私による意訳か要約です。
In Modern English, we use phrasal verbs more often in informal language. The reason for that practice goes back to the time when French influenced English. English speakers thought that French words, or words of Latin origin, were polite or cultured. When you want to speak more formally, you can use a single word of Latin or French origin instead of most phrasal verbs. For example, the phrasal verb look over can be replaced by review.
現在の英語では、句動詞は「インフォーマル語」として頻繁に使われる。その理由として、フランス語が英語に与えた影響がある。英語母語者は、フランス語、あるいはラテン語起源の単語を教養、あるいは文化のある単語と考えた。より「フォーマル」にしたいなら、句動詞ではなく、ラテン語やフランス語の語源の1単語からなる単語を使うとよい。例えば、句動詞の「look over」を「review」に置き換えるように。
「ラテン語系より、先に句動詞を理解しよう」という一言が学校英語では強調すべきではなかったのか、という疑問。ラテン語系は、シェークスピアを原書で読むような大学生になってからでも遅くない。
Another general fact about phrasal verbs is that British English uses different ones from American English. At one time, British English speakers used phrasal verbs much less often than American English speakers. Now, the Oxford English Dictionary lists many phrasal verbs in common use in British English.
英国英語の句動詞は米国英語と異なるものがある。今では Oxford 英語辞書には、英国英語で一般的な句動詞が、米国英語のより多く記載されている。
先日紹介した BBC提供の Podcast "The English We Speak" では句動詞の紹介がメインだ。確かに「英国英語で使われる」という説明が少なからずある。
以下、VOAの記事の内容に(概ね沿って)句動詞について。
句動詞の判別
「句動詞の判別方法」の基本は次の二つ
2 単語のフレーズが 1 単語で置換え可能:Yes
Can I substitute a single word for a two-word phrase?: Yes
3 単語のフレーズの直接目的語を削除可能:No
Can I remove the direct object in a three-word phrase?: No
この判別方法を頭に入れて、以下に具体例を示す。
"I looked up my cousin's phone number."
動詞 look と 副詞 up で構成された句動詞 look up、この意味は research, search for が該当。look より search の方が「重い」単語。ただ「**をさがす」としたとき、どちらであっても一語では済まないので look up の方が簡単だよね。
"I didn't know the number so I had to look it up."
というように、句動詞は目的語を間に挟む場合がある。しかし
Good: "I looked after Andy's dog while he was on vacation."
の look after は、目的語を挟むことはできず、次の文は誤り。
Bad: "I looked Andy's dog after while he was on vacation."
3 語以上の句動詞もあり、tolerate を意味する put up with は
Good: "I put up with the noise of my neighbor’s party because I knew it was his birthday."
のように、with の後に必ず目的語が必要で、次の文は誤り。
Bad: "I put up because I knew it was his birthday."
同様に 3 語の look up to は admire の意味で
Good: “She looks up to her sister.”
次の文は誤り。
Bad: "She looks her sister up to."
句動詞の判別方法(詳細)
句動詞ではない「regular verb + reposition」のように、この二語にそれぞれ意味を持つ場合、例えば
"I looked up at the sky."
look が "view" の意味、up が "in a higher direction" という風に意味を持つ。これは句動詞ではない。
一方、句動詞 "look up" は "research" という一つの意味しかない。
もう一つの判別方法:目的語を移動可能
"I looked the sky up." 意味は "I gazed upwards at the sky."
このVOAの Phrasal Verbs の記事は、今後続きがあるそうなので楽しみだ。
英語取得に「肝心」な句動詞
補足2016年5月6日:「日本語が亡びるとき(英語の世紀の中で)」を読んで、ここでの主張が少し揺らいだ。しかし、「本気で英語をちゃんと身につけたい人」にとっては、やはりここでの主張が有効なのには変わりない。
私が受けた「学校英語」が犯した間違いの一つに「句動詞を正しく教えなかった」ことにあると思う(ダメ発音も間違いの一つ)。「正しく」とは、この記事にあるような重要なことを「教えないか」「重要視しなかった」こと。結果、句動詞よりも「1単語で済む」ラテン語系の難しい単語ばかりが優先されたように思う。「ラテン語系の1語」の方が「日本語直訳英語」で教えるのは楽だったのかもしれない、「我慢する」を tolerate と教えるように。tolerate と同じ意味で、もっと優先的に身につけるべき英単語があったのだ。
あたかも、「英単語と日本語の言葉が一対一に対応」するかのごとく教えるのに、句動詞は「面倒」だったのかもしれない。
look up, look forward to, put up with などの句動詞を優先的に学べば、自ずと look や put などの「真に基本的な単語」の意味も分かり、英語の理解が深まるのに。「憂鬱」という言葉を、日本語初学者の外国人に教える過ちを犯してないか?
「将来使える英語のスキルて何だ?」と考えたとき、「英語母語の小学生並みの表現」も分からないものであるはずはないだろう。私は大学生になっても、英語の成績は良かったが、外国人の小学生と会話なんてもってのほか、彼らが読む本ですら原書では同様に読めなかったはずだ。
「日本人の英語はよそよそし過ぎる」という外国人の反応を聞いたことがある。今はどうなのか不明だが、その理由も「句動詞を軽視 or 知らなさすぎる」ことの弊害だろう。
「英会話」という英語の分野はないと思っている。同様に「ビジネス英語」とかいうのも英語学習として分類するのには疑問だ。「ライティング英語」「同時通訳の英語」というものは有効そうだが、多くの一般の英語学習者には、単に「英語」というものがあるだけ、と考える方が自然だ。
そして「何が自然な英語か」を常に考えないと進歩はない。「我慢する」を tolerate しか知らないようなもの、put up with の方を先に知るべきだろう。「我慢する」しか知らなくて、「耐える」「耐え忍ぶ」「こらえる」のように、日本語にも多様な表現があるのだ。「ふんばる」「持ちこたえる」とかね。
日本語から離れる
「ぱっどかすと:オススメ英語学習 Podcast」にも書いたように、英語学習の際には「日本語から離れる」ことは有効だと思う。英語という言語、語学を学ぶという姿勢こそが優先されるべきだろう。
そして、何度も書いているかもしれないが、母語である日本語(その他の母語も含めて)を「豊かに」せずに、外国語だけが流暢になることは多くはないと思う。特に日本に暮らす大人の場合は尚更です。
うぅ、もう書くのを自粛したかったこの手の「日本人の英語」だが、どうしても書いてしまう。「へぇ、英語できるんだ、凄いね、頭いいね」とか、日本人の大人に言われる機会が最近続けてあったからかもしれない。そんなことを言われる度に、全然嬉しくない し、むしろ悲しさ or 虚しさを感じてしまうのです。
同じ時期に、英語を話す東南アジアや欧州の若者らと会話したのも理由だろう。彼らの母語は英語じゃないし、(彼らに無礼を承知で言うと)大企業も有名大学にも行っていない人たち。彼らには「英語を使えること」に何の特別感もない、「普通」なのだ。
日本人と比較して、この差は縮まるのか? 「英語ができな病」は「気持ち」から変えねばならないのかもしれない。「英語は使えて普通なのだ」という風に。「東京でオリンピック開催」なんて、ちょっと笑ってしまう。「おもてなし」も良いが、変に「文化の押し付け」だけはやめてね。そもそも「おもてなし」の意味が良くわからんのだが...(笑)

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