普段は「ド」Blues の曲ばかりを練習してる。しかもアコギで、エレキギターは長期封印中。「エレキの前にアコギで弾けなきゃ」という方針。今年に入ってから「Blues 好き」が更に加速し始めた矢先、Martin Scorsese による映画「The Blues」の 7 部作を観始めて、より deep & deep に Blues にのめり込む始末。
そして Podcast でも Blues 番組を探した。幾つか見つけたが、そのタイトルから迷わず選んだのが Nothing But Blues 。タイトルに偽りなしの Blues だけ 。もう楽しくて仕方がない。仕事中以外で、特に大したことをしていない時はずっと流している。最小限の曲の紹介があるだけで、マジで Blues だけ 。
私は長年の Blues ファンだが、知らないミュージシャンや楽曲ばかり。それはそれで楽しんでいた。「マイナー系のアーティストの曲なのかな...」と勝手に解釈していた。
ところが 2月20日配信の #388 の放送を流していると、聞き慣れたギターの音とボーカルが聞こえた。B.B. King だった。ちなみに曲は "Nobody Loves Me But My Mother", その後も B.B. で、Robert Cray との共演 "Playin' With My Friends" 。
そして、次の曲は何と Tom Waits の "The Soul Of A Man" 。Blind Willie Johnson の曲のカバーだ! 初めて聞く彼のカバーバージョンに興奮して聴いた。何と言っても "The Soul of A Man" は先の映画 "The Blues" でも取り上げられた重要な Blues 。
Tom Waits は Blues だもんな...
そして、改めて気づく。
ネットに日本の音楽は存在しない
日本の Podcast では音楽はこんな風に流せない。ところが、Freakonomics Radio などの音楽系番組でなくても、米国ではガンガン有名曲が効果音として使われている。
日本の Podcast では音楽を流せないことは、ピーターバラカンの Podcast で何度も指摘されていたので知っていたが、改めて強い違和感を覚えた。これは「著作権」の問題で、ジャスラック(日本音楽著作権協会)の方針であるのは疑いの余地がない。協会の言い分は「アーティスの権利を守る」とかいうのは容易に想像がつく。
じゃ、米国の Podcast では何故にこんなにも音楽を使えるのか?
世界的に CD が売れないのは周知の事実。それは日本だけの問題じゃない。そもそも「問題」じゃない。マーケットの構造が変わっただけ。それを嘆くのは、単に「業界の怠慢」です。リスナーとは無関係。
結局のところ、問題はインターネット前の「ラジオの時代」から日本と米国では「音楽の扱いかた」が違う点。米国では音楽を使うことに「寛容」な気がする。少し調べれば、米国と日本の規制については分かるだろうが、する気はない。この Podcast の状況から答えは出ている。
日本の規制が「アホ」なのはどうでも良いが、その結果の方が悲劇だ。偏ったポップミュージックしか流さない日本のラジオは、もはや音楽を紹介する「健全」なソースではない。私はもうテレビは見ていないし、それ以前にテレビでも偏った音楽しか流さない。
こうなると、日本の才能豊かなミュージシャンにとって日本は「鎖国」状態。世界に発信できる音楽を作っているのであれば、日本の音楽業界は「足かせ」でしかない。
日本の行方...
もっと最悪なのは、豊かな音楽を聴けない視聴者の状況。
洋楽ばかりを聴く私でも、日本のミュージシャンに期待するところはある。でも、私の生活上、新しい音楽に触れる機会は、ネットを除けばほとんどない。
日本の音楽は、ネット上に於いても「鎖国」しているなんて、「お気の毒さま」としか言えない。
今日、日本の某アイドルグループの解散騒動の詳細を、米国在住の日本人の Podcast 放送で知る私も奇妙なのだが、米国人から見たこの騒動の奇妙さには納得。つまり、タレントの意向より、テレビ局や事務所の力が強いという矛盾だ。
今回の話題で言えば、ミュージシャンよりジャスラックの方が強いという構造。これを「既得権益」「官僚主義」と言わずして何という?英術家や文化を育てるのがパトロンの役目なら、ジャスラックってその役目はもはや担っていない。
この危惧が、日本の音楽だけに限ったことでないことが、もっと怖い。日本て「つまらない国」に向かっているのか?


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