2016年9月10日土曜日

侠飯(おとこめし)

アヒルと鴨のコインロッカー」を読み終えて、すぐに本書をパラパラとめくった。そして、文字の大きさにびっくりした。「なんじゃこりゃ」というほどの驚き。「今どきの文庫はこんなもんなのか? まぁ、中身が重要」ということで読み始めた。

侠飯 (文春文庫)
侠飯 (文春文庫)
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福澤 徹三
文藝春秋 (2014-12-04)
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文字が大きいせいか、スローリーダーの私でも、あっという間に読んでしまった。予想通りというか、テレビドラマの方が出来が良い。同時に、ドラマの脚色や演出を再評価した。

とはいえ、柳刃の場面や料理のウンチクがドラマより多い点は楽しんだ。

早速、実践したのは「チャーハン」。シーフードカレーに続く「おとこめし」第三弾(写真は、食うのが忙しくて撮り忘れた)。

「チャーハンって、具はそんなに大事じゃないんですね」 
「具よりも味付けだな。塩のかわりに、酒盗やアンチョビを使ったチャーハンも旨い」 
P. 78

これをヒントに、肉もハムも入れないチャーハンを作った。具は、ニンニク、みじん切りした玉ねぎ、そしてタマゴだけ。いつもより油は多めにして、レンジで温め直したご飯を強火で炒めることを心がけた。最後に「焦がし濃口醤油」と塩でメインの味付け。

ごま油を足すの忘れたが、かなり旨い。番組でも使っていたラードがあれば、もっと旨くなったかもしれない。確かに、肉などの具の旨味より味付けの方が重要なのに納得。
参照

空腹を満たすだけじゃない

ほぼ毎日ジョギングの終わりに「水浴び」する先のお寺ある、「不許葷酒入山門」と彫られた石碑をずっと気になっていた。
葷酒(くんしゅ)山門に入るを許さず、だ。P.186

この場面を読んで「なるほど」と思ったが、お寺には色々と疑問があるので「本当かなぁ〜」となった。その点については、いま読んでる本を元にして後日ふれてみたい。

本書もドラマも、醍醐味は柳刃の「生き様」。

「ぼくのどこが善人ぶってるんですか」 
「自覚してないだけだ。見たくないものから目をそむけてると、視野がせばまって単純な発想しかできない。自分を善人だと思いこむのは、そういう奴だ」 
「善人だと思っちゃいけないんですか」 
「自分を善人だと思っている奴は反省しない。(略)それじゃ永遠に進歩しないし、物事の本質は見えない」 
P.145

テレビの「コメンテイター」と呼ばれる連中だ。「視野が狭い」し「単純だ」といつも思っている、だから見ない。

昨今、学校や職場などで生徒や部下に、こんな指導をしても「厳しすぎる」と批判されるのかもしれない。「褒めて育てる」も悪くないが、「褒めるところがない人」もいる。あまり注目されないが、怒る立場の方が体力的にも精神的にもキツイのにな...。

近頃は「わかる奴だけに言おう」という、若干消極的ぎみだ、もしくは実務的になっているとも言えるか?「仕方ない、それも現実だ」という感じ。

「あしたという日が永遠にこないように、将来も未来もない。あしたになれば、きょうになる。きょうになっても、あるのはいまだけだ」 
「だから、なんなんですか」 
「おまえが変わるしかない。おまえがいまを変えるんだ」 
P.196
完全に「嫌われる勇気」の世界だ。

「わたし」が変われば「世界」が変わってしまう。

これに気づいて実践できている人は、それほど多くないように思う。

先ほど見たドラマの最新のエピソードでの、柳刃のセリフが効いた。

メシってのは、空腹を満たすだけじゃない。

こんなセリフが、本書にあったのか、続編にあるの分からないが、深いメッセージだ。

わかる奴だけわかれば良い

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