千住家にストラディヴァリウスが来た日 著者:千住文子(せんじゅふみこ) 発行:2008年5月1日文庫初版(2005年10月単行本) |
本書が気になったのは、「ギターを巡る葛藤」が始まった頃。長年使ってきたギターが「壊れそう」になり、新たなギターを求めて楽器屋を行き、ずっと憧れていたギターを試し弾きして、その音の良さと弾きやすさに愕然となっていた頃。その後、別の楽器屋では、同じ Martin だがモデル違いの中古を試したところ、予想外にとても良かった。その後、その葛藤がどう収ったのかは、別の投稿に記す予定。
さて本書だが、タイトル通りの内容。芸術家の家族ならではの出来事だが、楽しく読んだ。バイオリンにも、クラシック音楽にも詳しくないが、音楽や芸術に関心が高い者としては、興味深い内容だった。
とはいえ、ここで取り上げたいのは冒頭に記された「夫」のこと。彼の「子育て・教育方針」は非常にシンプルだが、強力であり、私は微塵も反論できない。
夫の教育方針は「いかに集中させるか」ということであった。
子供が集中する、すなわち、我を忘れて没頭する、それは、自分がいちばん興味を持ったこと、すなわち本人の意思、要するに、本人が好きなことを尊重して、ただひたすらやらせることに、他ならない。むろん、善悪や社会常識を教育することは当然である。P.15
「なんだそんなことか」との意見が聞こえそうだが、「ただひたすらやらせる」ことは簡単じゃない。
その頃、私は夫にこう言われたものだ。
「子供は、親の持ち物ではないんだ。子供は、自分の人生を、自分で探さなければいけない。それを親が決めたり望んだりするのは、親のエゴイズムだよ」
そのほか、いくつかの夫の主張は、考えてみればすべて頷けるものであったから、私も、自分が抱いていた我が子への夢を、捨てなければならなかった。P.18-19
「親が決める」ものなのだろうか?私は一度も親から言われたことがないし、中学生の頃、漠然と「自分で決めるもの」と思っていた。とはいえ、「自分で考えろ」は、大人に対しても言わなければいけない場面は少なくはないので、意外と「自分で考えない」で育ってきた人は多いのかもしれない。
「僕たちが死んだら、いったい、彼らは誰に助けてもらうんだい。その時、満足に歩けなかったら、その方が、よっぽどかわいそうじゃないか、心配じゃないのか。一人でしっかり歩けるようにしておかなくては。"高いハードル"と言ったのは、そのためなんだ。学校には、それぞれ特徴があって、優劣がそれほどあるとは思えない。ハードルは、自分にあるんだ。まず、それを越せる人間にならなくては、何をやってもダメなんだ」
夫の深層にある、子供に対する愛を見たのは、その時が初めてであった。P.21-22
「学歴社会」は未だに根深いものがあるが、10年以上前に「学歴は大したことない」と確信した。学歴より長い社会人生活で、どんな仕事をどんな風にやってるのか、どのように社会と折り合いをつけて生きているのか、そんな見方で人を判断している。
ハードルは、自分にあるんだ
まさにそう。
そして、2000年に、夫は死んだ。強いエネルギーを放ったまま、この世を去っていった。
しかし、夫が千住家に残したものがある。目に見えない、その"巨大なもの"は、確実に、子供たちの体内に浸透していた。そして、子供たちは、次第に、父親の偉大さを、私に語り始めた。千住家にストラディヴァリウスがやってきたのは、そんな時期だった。P.28
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