2023年2月17日金曜日

物は言いよう


物は言いよう

著者:斎藤 美奈子
発行:2004年11月9日初版

本書にある "FC"「フェミコード」の定義:
エフ・シー【FC】(Femi Code) 言動がセクハラや性差別にならないかどうかを検討するための基準。公の場ではそれに相応しいマナー(作法)を身につけよう、との趣旨で考案された。フェミコード。「それってー的にどうよ。」→セクハラ

この定義を読み、いつものように目次を流し読みしながら「あぁ、著者の(これまでのような)同じような指摘なのかなぁ」と、若干「楽しく読めるのかな」の疑問が過ぎた。しかし第1章の序盤まで読んでそれは杞憂に終わった。相変わらず「楽しい指摘」なのだ。そして、相変わらず「正しい指摘」。


本人が気づいていない
政治家の珍言、迷言が「ポロッと失言」なら、こちらはそれのいわば確信犯バージョンだ。パッと見、理詰めでくるだけに、またちがったおもしろさが味わえる。P.279

本書でフェミコードチェックされる発言や見解は、政治家のものだけじゃく、そして男女問わず、比較的「頭が良い」「良心のある」と認知されてる人たちのもの。中には超有名作家やノーベル賞受賞作家もいる。「パッと見」(パッと読み?)では気づかないが、著者「斉藤」の明確な指摘で大いに納得する。

著者のフェミコードチェックにかかった人たちは、当たり前だが、セクハラやそれに近いことを言ってるとは夢にも思っていないはずだ。時には、ユーモアのつもりだったり、例え話だったりするのだが、「それってどうよ」的な発言が少なくない。

約20年前の本書で、当時は日本の報道を見聞きしていたが(今はほどんとしない)、その当時でも「それってどうよ」と私も感じていた。私は「女性擁護」の立場が強いわけではない。しかし「それってどうよ」と感じるのは、単に「権力側の発言」が嫌いだからだろう。そんな発言をするのは権力側に多く、それゆえに目立ってもしまう。

結局、そんな人たちは「分かってない」だけ。もしくは「分かろうとしない」だけ。緩やかに変わっている社会を「理解しようとしない」だけ。と、私は思う。人の思想、もっと言えば「思い込み」を改めさせるのは、意外と難しい。本人が気づくしかないのだ。


女流「何たら」

本書の指摘はどれも楽しかったが、最も関心したのが:
「女流作家」とはたんに「女性の作家」の意味ではなく、「本流から外れた女流」「女の流儀で書く作家」というニュアンスを含んでいる。当の女性作家が概して「女流」と呼ばれるのを嫌うのは(なかには好む人もいるけど)、「「べつにわたしは女の流儀で書いているわけではありません」という気持ちがあるからだ。P.207

ずっと「女流**」に違和感があった私は、調べもせずに「高く評価」する目的で「女流**」があると思っていた。「女流作家」「女流棋士」の二つぐらいしか「女流」を知らないから「特別感」があったからかもしれない。

「本流から外れた女流」とは...、単に「差別」じゃん。将棋界のことは詳しくないが、文壇と同様に長きにわたって「男社会」だったことは容易に想像つく。「女のくせに」「女だてらに」との気分も「女流」に込められているのかも?

そうなると、「女流、女の流儀ってどんな流儀なんだ?」と尋ねたくなる。その回答は、必ずや、著者「斉藤」のフェミコードに抵触することでしょう。


格好良くない
親しき仲にも礼儀あり。日本の男(とあえていうが)は公の場では「格好をつける」「気取る」という単純なルールを少し学んだほうがいい。女が相手と見て礼を失した一国の首相。それを微笑ましい光景として報じるメディア。こういう土壌にセクハラ文化は花開くのですよ。P.183 

これは2002年1月、「小泉首相超デレデレ〜」のような各紙の見出しを取り上げたもの。すべてスポーツ紙で、「スポーツ紙らしい」と言えば「らしい」のだが、だからって看過できない。私はスポーツ紙は読まないのだが、こういった姿勢が「セクハラの土壌」となってることは看過できない。個人的に思うのは、小泉首相だったからこういう行動や報道になったように思う。キャラクターが違う首相だったら、もしかして「セクハラ指摘」した可能性がある。

そんなことより、この報道で情けなく思うのは、韓国の首相と日本の首相の「違い」。指摘のように「格好をつける」「気取る」ことを知らない日本の政治家は多い。「偉そう」にはしていても「格好が良くない」のだ。

ま、日本の政治に興味がないのでこれ以上は割愛。

「男らしい」「女らしい」はあっても良いと思うが、強調することではない。男も女も、ジェンダーフリーであっても、その人が「格好が良い」かが私の判断基準。もっと言えば、魅力を感じるのは、その人の「生き様」なのだ。「女らしい格好良い生き様」はあると思うし、かといってその定義を明確にすることに意義はない。「女はこうあるべし」と発した瞬間「アウト」だろうね。

すべては他人の好みだから。

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