2025年1月2日木曜日

(再読)終末のフール

 
終末のフール

著者:伊坂幸太郎
発行:2010年2月14日第9刷、初版2009年6月30日(単行本:2006年3月)
再読中の伊坂幸太郎作品だが、今のところ最も内容を忘れていたのが本作。「余命三年の世界」の前提すら覚えていなかった。初めて読んだのが2018年5月、「面白くなかったからか?」と思い、当時の投稿を読むと「非常に良い作品」と評価してる。

全七篇の中で「籠城のビール」の記憶は比較的あったが、それでも(都合よく)結末は完全に忘れていた。他の六篇の記憶は、かなり「ぼんやり」だった。

約6年ぶりに読む本作は、当時読んだ印象と異なるようだ。具体的には言うのは難しいが、当時と今とでは自分自身の経験や状況が異なるので、受け方も変わるのだろう。それに、2024年年末から年始にかけて読んだこと、「人生の変化」を目前に控えているからかもしれない。

「明日死ぬとしたら、生き方が変わるんですか?」文字だから想像するほかないけれど、苗場さんの口調は丁寧だったに違いない。「あなたの今の生き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」P.220

「生きられる限り、みっともなくてもいいから生き続けるのが、我が家の方針だ」土屋さんが、河川敷のベンチで私に言った言葉も思い出される。P.363

映画『ケイコ 目を澄ませて』を見ながら「人はファンタジーの中で生き続けることはできない」としみじみ感じた。「どう現実を生き続けるか」を日常的に問い続けることはない(そんな人もいるだろうが、「宗教的」な気がする...)。しかし、問わないことには「ファンタジーに流される」はずだ、いわゆる「現実逃避」。逃げられれば良いのだが、それは現実的ではない...。

映画などの物語作品は、「そんな問い」と向き合う機会を与える媒体。

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