前作:フィッシュストーリー、次作:実験 4号 後藤を待ちながら
| ゴールデンスランバー 著者:伊坂幸太郎 発行:2021年12月10日第21刷、初版2010年12月1日(単行本:2007年11月) |
今回は「8時間ぶっ続け」ではなく、じっくり読みたかった。ただし、読み始めると「止まらなくなる」のは確かで、読み続けたい欲望を抑えながら、約10日かけて読んだ(先のツーリング中でも読んだ)。
確かに面白い小説だが、テーマがはっきりしているだけに、「もう少し早いテンポ」でも良かったのでは、と思った。そして、これは本作の非ではないのだが、頭の片隅に残っていた「映像版の展開や画面」がチラついて邪魔だった。「面白くなかった作品でも記憶に残る」ことに、映像化作品を観ることのデメリットを感じてしまった。
私にとって本作は、次の一節が本書の多くを語っている:
二十年前、金田貞義首相の暗殺事件が仙台で起きた際、マスコミは当然ながら、大騒ぎだった。今、落ち着いた目から見れば、たがの外れた狂騒だった、と言うことはできる。テレビや新聞は警察庁の発表を垂れ流し、真偽不明の一般人からの情報を次々と放送し、視聴者の感情を煽った。青柳雅春を犯人とした根拠は状況証拠ばかりだったにもかかわらず、その実名が異常なほど初期の段階から、テレビで流されたのは驚くべきことだったが、それは今もしばしば起きていることだ。P.78
テレビがないおかげで、日本のマスコミとは距離を置けているが、それでもネットを使っていると嫌でも目に入る。それだけの情報からでも「今もしばしば起きていること」は、推察できる。例の「フジテレビのこと」は、数日前に、同僚から飲み屋で「10時間でしたよ、まだやってるの?て感じでした」と聞いた。興味がないことなので、意見を言うのは憚れるが「幼稚だな」と思ってしまった。
ここで「マスコミ批判」をしたい訳ではない。言いたいことがあるとすれば、「観なければ良い、無視すれば良い、騒がなければ良い」。なのだが、「娯楽を求める」心理がある以上、「騒ぐ誰か」は、それが少人数であったとしても「一定数存在する」現実は避けられない。
青柳雅春の父親が、テレビカメラの前でリポーターに囲まれての発言:
(略)「名乗らない、正義の味方のおまえたち、本当に雅春が犯人だと信じているのなら、賭けてみろ。金じゃねえぞ、何か自分の人生にとって大事なものを賭けろ。おまえたちは今、それだけのことをやっているんだ。俺たちの人生を、勢いだけで潰す気だ。(略)覚悟はいるんだよ。バスの運転手も、ビルの設計士も、料理人もな、みな最善の注意を払ってやってんだよ。なぜなら、他人の人生を背負ってるからだ。覚悟を持てよ」P.584
現実のリポーターに対して、仮にこのような発言あっても私には「無茶苦茶だなぁ」とは思えない。「覚悟がない」、つまり「無責任な報道」がまかり通っているのは確かなのだ。
こんなことを書くと「じゃ、おまえは自分の仕事を覚悟を持ってやってるのか?」と問われるだろう。それに対して「覚悟はありますよ、責任も持ってやってますよ」とサラッと応えるだろう。私にとって、だからこそ「仕事は楽しい」のだ。
仕事でなくとも「無責任なこと」って、やってて楽しくないけどな、カッコ悪いし、「ロックじゃない」しな(笑)

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