ゴッホのあしあと 日本に憧れ続けた画家の生涯 著者:原田マハ 発行:2018年5月30日初版 |
フィンセント・ファン・ゴッホのことは、一般的には「誤解されてる」気がしている。「自らの耳を切った」「ピストル自殺した」から「狂気と情熱の画家」と称されるのは分からないでもない。ゴッホの「迫力のある絵画」も「狂気と情熱」で解釈されることがある。
皆さんは、ゴッホは《カラスのいる麦畑》で絵を描きながら、ピストルで自分の胸を撃って亡くなったと思っていませんか。実際に行ってみると、ゴッホが自殺した七月は麦畑が刈り取られており、この風景はありませんでした。(略)耳切り事件もピストル自殺もそうですが、後世の映画や小説の影響が大きく、フィクションの刷り込みがなされているのです。P.106
本書は、ゴッホの過ごした土地を実際にたどり、著者の『たゆたえども沈まず』に実るまでの過程を記されたものとも言える。著者のことは『楽園のカンヴァス』を読んでファンになり、ゴッホについては少なからず興味がある私は(参照:『絵とは何か』「絵と清志郎とゴッホと」)、是非とも著者の言葉で「ゴッホのことを知りたい」と思った。
第四章の「小説『たゆたえども沈まず』について」の「林忠正の郷里・富山を訪ねて」から:
その頃、私は、今回の小説の目的の一つとして、「林忠正の復権」を考えていました。ゴッホの知名度は一般的にはほぼ100パーセントに近いと思います。しかし林忠正の知名度は1パーセントにも満たないのではないでしょうか。林忠正とゴッホ、生前と没後でその知名度が逆転しています。(略)林忠正は、一時はあんなに成功をおさめたのに、国賊と呼ばれ、歴史の闇に葬られています。P.121
確かに、ゴッホは知ってても、林忠正のことは知らなかった。日本の浮世絵にゴッホが影響されたのは有名だが、「誰が浮世絵をもたらしたのか?」は気にしていなかった。
次は「入り口が林忠正、出口がゴッホ」から:
林忠正とゴッホの両方の調査を続けて、いざ物語を書こうという段になり、考えたことが一つあります。「もしも、ゴッホ兄弟に寄り添った日本人がいたら」と。(略)そんなわけで、小説『たゆたえども沈まず』の入り口は、林忠正でした。彼について書こうと思わなかったら、ゴッホについて書かなかったと思います。(略)林忠正について話していると、最後はゴッホの話題で終わるのです。不思議なものです。そして林忠正の物語の語り手として、彼が日本から呼び寄せた後輩、加納重吉を設定しました。彼は架空の人物です。P.122
次は左が渓斎英泉(けいさいえいせん)の《雲龍打掛の花魁》、右がゴッホの《花魁》:
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本書のように、美術や芸術を言葉で堪能するほどに、実物に接したいとの気持ちが強まる。国内で「ゴッホの作品が見れる」P.156 と紹介された、次の美術館に訪れたい:
ひろしま美術館 ポーラ美術館
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