2025年3月31日月曜日

ハンサムウーマン

ハンサムウーマン

著者:明智・大原まり子・小谷真里・斉藤綾子・佐藤亜紀・島村洋子・菅浩江・松本侑子・森奈津子
発行:1998年7月30日初版

9名の作家、全員女性による「9つの書き下ろし小説集」。

私は短編集は好まない、特に本書のように異なる作家による短編集は避けていた。理由としては、一冊の本としての統一性を欠くようで、次の物語への心の切り替えが「鈍くなる」、結果「何を読んでるのか意味不明になる」から。そして「好みじゃない作家の物語を読まされること」、これが最も嫌なことかもしれない。まぁ、読まなきゃ良いのだが...。

本書を手に取ったのは「斎藤美奈子の『本の本』の影響」で、その読後に投稿したブログ:
『おーいブンガクよ、アホらしさを見習え』と題された書評、明智抄ほかによる『ハンサムウーマン』ではもっとスッキリする:
倦怠した不倫妻も、妙に神経過敏な女子大生も、挑発的な援助交際系の女子高生も、ここには一切出てこない。そういう女はもう見飽きたぜ
(略)
本書の作品群とその主人公にあって、多くの文学作品とそのヒロインに欠けているもの、それはバカバカしさである。女性が主役の一人称小説にとって、これは貴重なことである。なぜって女の人は、思想信条のいかんによらず、ナルシシズムとなかなか縁が切れないから。世間も自分も笑い飛ばせる彼女らは、月並みな恋愛劇にも回収されない。旧来の「女流」のイメージが気持ちよく座礁、転覆する。P.84

斎藤先生、さすがに鋭いわ...。時折、彼女の書評をもとに本選びをするが、大抵は「当たり」だが、たまには「ハズレ」もある。今回は「当たり」で良いと思う。

本書は1998年出版で決して「新しくはない」、今時の作家には見られないような「言い回し」や「表現」がある。「30年で、こんなにも変わるのかぁ...」と感心した。そんな「感心したこと」より、最も痛感したのは「私は、以前は女性の作家の本をほとんど読んでいなかった事実」。ここ数年では、男性よりも女性作家の方が比率的には多いかもしれない。きっかけは不明だが、それこそ斎藤美奈子の『趣味は読書。』を2010年に読んでから、徐々に今に至ってる気がする。

少なくとも1998年頃に「こんな女性作家たちがいて、こんな物語を作っていた」ことに、ただただ感心した...、ていうか「私の単なる無知」で片付く話なのだが(笑)

最初の『松茸狩りでオトナになる』から楽しかった。作者の「明智抄(あけちしょう)」は本業は漫画家、かなり有名なようだが、まったく知らなかった。面白い漫画を描く人は、「うまい物語を生み出す人」でもあるのだろう。他の8話にも楽しい物語はあるが、ネタバレはしたくないので割愛。

とはいえ、すべての話が「興味深い」とはならなかった。完全に私の好みが判明したのだが、私は「SF、特にファンタジーに寄りすぎた物語」「現在の社会を、未来の物語で批判」の傾向がある物語は好まない。「嘘くさい」し「話が薄っぺらい」と思ってしまう。練られた物語なのだろうが、「やっぱ現実的じゃないよな...」となると興味は一気に低下...。


女性が描くエッチなこと

たまたま昨日、数年ぶりに会った女性(歳は37と何度も強調、今の若い者の「ダブダブファッション」を、彼女の世代じゃないはずだが「竹の子族」と評してた、古い...)と長々と会話する機会があった。そこで「私は腐女子、いえいえ今では貴腐人なの」と告白!その勢いで盛り上がったのは「女性が描くエッチは、男性とは違う」ということ。

今まで考えたことはなかったが、彼女の説明で納得。まぁ、当然と言えば当然、男が描くのは「男の願望」がたんまり含まれている。もちろん「女の願望」が女性側からも描かれる。

日本のメディアのほとんどを無視してる私は、そっち方面(笑)は全くの無知で、かなり新鮮だった。「ゲイ」「レズビアン」など、海外の女性の話はたまに聞くが、日本の女性の視点から、ここまで面と向かって話したことはなかった。

「貴腐人の人は、結局のところファンタジーが好きなのね」との私の意見に「その通り!」と満面の笑みで返した彼女であった。

そう考えると、本書の物語も別の視点の解釈が可能になる。

PS
彼女との話は「整形手術」にも及んだが、その辺は割愛。結局のところ「美意識の問題」で意見は一致。「美意識とは?」「美意識を磨くには?」の問いがないところに「本当の美」はない、と思う。

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