2025年7月29日火曜日

嘘つきアーニャの真っ赤な真実

嘘つきアーニャの真っ赤な真実

著者:米原万里
発行:2001年6月30日初版

著者の米原万里が10歳から14歳の頃(1960 - 1964年)、プラハのソビエト学校で出会った三人の少女と、30年来に出会う話。その三人との出会いと再会が「三つの物語」として収録:

 リッツァの夢見た青空
 嘘つきアーニャの真っ赤な真実
 白い都のヤスミンカ

日本に居ただけでは想像もつかない話なのだが、当たり前だが実話だ。東欧と当時のソビエト連邦、それに中国や日本共産党など、そんな時代の流れや社会の変化の中、少女から大人への成長や変化を、著者の視点で描かれた、どれも秀逸な作品。

三つの中では「白い都のヤスミンカ」が好きだが、ここでは「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」から引用:
アーニャは、もともと祖国ルーマニアに対する思い入れが強い子であった。在プラハ・ソビエト学校には、50カ国以上もの子どもたちが学んでいたのだが、故国を離れているせいか、どの子供も一人残らずイッパシの愛国者であった。 
そして、故国への愛着は、故国から離れている時間と距離に比例するようであった。この距離というのは、地理的というよりも政治的、文化的意味合いの方が大きい。P.119

私の地元の長崎県でさえ、隣町の悪口を言ってる現実(笑)、故国を離れた子供たちの心情はどんなだったろうか。故国も違えば文化も違う、家庭環境も違う、アーニャを「ステレオタイプ」的に見るのは危険だが、なんとなく理解はできる。

圧政と不公正に抗して貧民たちを結集して権力を打倒した反乱者たちが、権力の座についたとたんに、以前の権力者と寸分違わぬことを繰り返す。だから、いくら反乱があっても、なかなか社会の仕組みそのものは変わらないのであった、というような教科書の記述を思い出したのだが、アーニャには面と向かって言う気が失せていた。私が、アーニャに対して一定の距離を持つようになったのは、このときからかもしれない。P.99

「反落者が権力の座につくと...」、これは残念ながら現代でも大して変わってない気がする。「権力」て怖いよな(笑)

マリ、国境なんて21世紀には無くなるのよ。私の中で、ルーマニアはもう10パーセントも占めていないの。自分は、90パーセント以上イギリス人だと思っている」 
さらりとアーニャは言ってのけた。ショックのあまり、私は言葉を失った。ブカレストで出会った、瓦礫の中でゴミを漁る親子を思いだした。虚な目をした人々の姿が寄せては返す波のように浮かんでくる。 
「本気でそんなこと言っているの?ルーマニアの人々が幸福ならば、今のあなたの言葉を軽く聞き流すことができる。でも、ルーマニアの人々が不幸のどん底にいるときに、そういう心境になれるあなたが理解できない。あなたが若い頃あの国で最高の教育を受けられて外国へ出ることができたのは、あの国の人々の作りあげた富や成果を特権的に利用できたおかげでしょう。それに心が痛まないの?」P.181

30年前の友だちが30年後にどうなっているか...。私の場合は、長崎の小中学生の頃の連中と、この数年で何人かと再会した。本書の物語のようなドラマはもちろんなかった。楽しかった面もあれば、「なんだかなあ」という面もあった。

「歴史は繰り返す」「人は歴史に学ばない」と近頃痛感することが多いが、本書を読みながら同じような想いにかられた。

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