2025年8月6日水曜日

その農地、私が買います 高橋さん家の次女の乱

その農地、私が買います 高橋さん家の次女の乱

著者:高橋久美子
発行:2021年12月7日第二刷(初版:2021年10月20日)
チャットモンチー、一時聴きまくった。本著者の高橋久美子が脱退した後の「二人編成のチャットモンチー」のライブは観た、三人編成の頃のライブを体験したかったと今でも思う。

そんな高橋久美子の本があることを知った。チャットモンチーの頃、高橋久美子が書いた歌詞が好きだったので興味があった。ある番組で「国語の先生を目指してた」と言っていたのも思い出した。

本書は直感で選んだが、かなり面白かった。というか「切実な問題」を提示してくれたと思うし、「映像化でドラマにして欲しい」ほどの面白さ。ただ、ドキュメンタリーは難しいだろう、実名を出すと生々しすぎるから...(笑)

四国山脈に囲まれた美しい私のふるさと。子どもの頃はここまで動物が出てくることはなかった。祖父と山へ行くとときどき猿を見かけたが、警戒心が強いため人を見ると一目散に逃げた。猪も猿も人里へやってくることはなかったのだ。P.122

私の故郷の長崎の田舎でも同様。社会人になって、たまに実家に帰ると「猪被害」の話を耳にするようになった。幼馴染の乗った軽トラに猪が突っ込んできた話は、笑いながら聞いたが、農業に携わる人たちには「笑い話ではない」。その後も、家庭菜園(といっても規模小さくない)のオバさんからも「猪被害」の話は聞くことになった。

「猪、狩って食えばいいじゃん」と無邪気に思っていたが、本書を読んで、そうとばかりは言ってられないことを痛感。

高校生になった頃、祖父が「最近の若いもんは枝打ちをしなくなったから、山が荒れて足を踏み入れられん状態になっとる。これは、もうちょっとしたら大変なことになるぞ」と言うようになった。P.123
ここから上があんたたちの縄張りで、こっちは私たちの縄張りだから来ちゃだめだよ。麓の山を整備することで、人の匂いや気配が残り、暗黙の境界線ができていたが、それがなくなり荒れた山の裾野は下へ下へと広がり、それをつたって猿も降りてくるようになったのだ。P.124

「動物との共存」て「境界線があってこそ」なのだ。猿も猪も、そして熊も、好んで人を襲ってる訳ではない。「そういう状況になってしまった」のは現実、そして「その状況にしたのは人」なのだ。

F1種」のことは、何かの本で読んだ記憶があった:
今、スーパーなどに並ぶほとんどの野菜がこの「F1種」から育ったもので、一代限りで終わってしまう「一代交配種」と呼ばれる。強いものどうしを交配させ種苗会社によって作られたF1種は、子孫を残せない。よって、毎年種を買わないといけないシステムになっている。P.139

農業について語るとき、誰の視点で語るかでかなり内容が変わってくる。農家さんの視点や食糧危機の観点から見るとF1種は革命的だろう。しかし従来の農業の視点や、生物本来の姿を考えると種を残せないことは不自然だ。まだまだ思うことはあるが、ここから先はそれぞれが自分で調べ、考え、選んでほしい。これを機会により食や農に興味を持つ人が増えたらいいなと思う。P.142

次は「長い追伸 そこで暮らすということ」から:
実は、2020年の3月に1日だけ実家に帰っている。空白の2020年の幻の1日だ。そのことについて書こうかどうか今まで迷いに迷ったが、書こうと思う。家族や近隣の方々に迷惑がかからないよう、なるべく詳細は控えつつ、やっぱり書こうと思う。P.214

「よくぞ書いてくれた!」と称賛したい内容。田舎で育った人なら「あるある」と頷く人は少なくないだろう。とはいえ、都会の大企業であっても、似たようなことは起こっている。「誰の視点で」「どの視点で」主張するかで、物事の見え方は違うのだ。世の中の争いの多くって、そんな感じで起こっているのかもしれない。

最後に「耕作放棄地に太陽光パネル」について。オートバイツーリング先は都会を離れた田舎。近年目につくのが「太陽光パネル」で、正直「その景観は不気味」だ。「耕作放棄地を有効活用」「自然エネルギーの普及」と言えば聞こえは良いが、「発電量はどのくらい?」「補助金ビジネスになっていないか?」などなど、疑問は尽きない。

本書から「太陽光パネルになった経緯」を垣間見たようで「なるほど」となった。耕作地から離れて暮らす私が意見する立場ではないが、「太陽光パネルとなった耕作地」を見て「幸せな気分」になることはない。その答えは「10年後、20年後に分かる」ことかもしれない。もしくは、悲しいかな「すでに分かっている」ことかもしれない...。

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