2025年10月31日金曜日

(再読)SOSの猿

 
SOSの猿

著者:伊坂幸太郎
発行:2012年11月25日初版(単行本 2009年11月)
前回読んだのが2018年12月の約7年前だが、この文庫版の表紙は妙に鮮明に覚えている(この表紙の描写が本書にあるが、私のイメージとかなり一致)。そして、物語の序盤の展開も他の伊坂作品と比べてかなり良く覚えていた。だが、中盤以降は「都合よく」忘れていて、再読ながら、いつものように楽しめた。

一見して別々の二つの物語が進むのだが、これを「奇妙な小説」と思う人もいるだろうが、伊坂作品を多く読んでる私に違和感はない。「それらの物語がどう繋がるのか」が見どころなのだ。それを「伏線回収」と呼ぶ人もいるのだろうが、「伏線回収」に私は拘っていない。まぁ、「回収されたときの楽しさ」があるのは間違いないが、時には「回収されなくても良い」とも思ってる。「オチがつけられない」「読み手の判断に依存」の場合は往々にしてあるのだ。

ただ「奇妙な作品」とは思わないが、今までと作風というか雰囲気が違うのは間違いない。それは本人が意図したことのようだ。

以下「解説」から:
しかし第二期の作品は受けが悪かった。ならばと「一連の『肩すかしもの』に対する当たりの厳しさを受けて(笑)、『わかりました。じゃあ、みんなが待っていてくれていそうなタイプのストーリー展開、ぜんぶやろう』(前出の文藝別冊『総特集 伊坂幸太郎』)と書かれたのが『マリアビートル』(2010年)だったという。P. 416
この「第二期」とは:
『SOSの猿』は、古くからの伊坂ファンにはあまり評判が芳しくなかったようだ。伊坂自身は2007年の『ゴールデンスランバー』からを第二期と定義していて、『モダンタイムス』『あるキング』『SOSの猿』『バイバイ、ブラックバード』が相当する。P.416

「じゃあ、(期待に応えて)ぜんぶやろう」となって『マリアビートル』を書いたそうだ。意図して「超エンターテイメント作品」を書いたことに驚く。「作家って凄いなぁ」と改めて思う。映画やドラマの脚本家に同様に感心する。思えば、ストーリーテラーという存在は、職業作家が生まれるずっと前から存在した、俗にいう「語り部」。伊坂幸太郎のように「読者の呼吸を読む語り手」は、「古代の語り部」の現代版なのだろう。

本作『SOSの猿』ではユングやフロイトのことが登場する。大学生の頃だったかな、ユングとフロイトを少しかじった。この辺の心理学がちょっと流行した時期だった気もする。今になると「夢分析」なんてこじつけと思うのだが、伊坂幸太郎は、その「こじつけ」を物語の燃料にしてしまう。人が意味を求めてあがく姿を、軽やかに描くあたりは、やっぱりストーリーテラーだなと思う。

その意味では、フロイトやユングの理論は、今となっては心理学というより「文学」や「娯楽」の方により親和性が高い気がする。いずれにせよ「想像力」が欠かせない。科学の力では説明しきれないことが多いからこそ、私たちは物語を通して「知ること」ができるのだ。

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