| 落日燃ゆ 著者:城山三郎 発行:2013年8月10日文庫64刷(単行本:1974年1月) |
日本の歴史や大戦のことに詳しくない私でも、本書の表紙に映る「東条英機」は判別できる。しかし「広田弘毅(ひろたこうき)」はその名前すら知らなかった。本書を読んで、知っておくべき日本人と痛感した。
そして極東国際軍事裁判、いわゆる「東京裁判」。私はこの裁判を「変だった」と言い切れる。後出しジャンケンの主張だとしても、そう言い切ることが大事だと思った。
東京裁判のことは詳しくなかったが、そんな私でも「そんな裁判が、どこまで公平なものか?」には疑問を抱いていた。
だが、戦争裁判そのものが、果たして裁判といえるものなのか。裁判とは法によって裁くことなのに、戦争そのものを犯罪とする法規があるわけでなかった。法もないのに裁くわけで、それはもはや裁判でなく、一種の「政治」でしかないのではないか。P.344
東京裁判の最大の矛盾の一つに、「ドイツ(ナチス)のひな形を、そのまま日本に当てはめたこと」にあると思う。裁判の根底に「共同謀議(コンスピラシー)」という考え方があった。これは「特定のグループが、世界支配のために何十年も前から計画的に動いていた」とみなす理屈。
日本の場合:
・日本にはヒトラーのような絶対的な指導者は不在。
・実際には、出先の軍部が暴走(満州事変など)、政府がそれらを後追いして追認。
・内閣が次々と代わる中、17年間(裁判の対象期間)同じ目的で「共同謀議」を続けるのは現実的には不可能。
現在は、国際刑事裁判所 (ICC)があるが、アメリカ、ロシア、中国、イスラエルは加盟していない。つまり、結局のところ「力のある国」が裁かれない現状は、広田弘毅の頃と変わっていないのかもしれない。
自ら計らわぬ
「自ら計らわぬ」は、本書で何度も登場する、広田弘毅の生き方や信条。意味としては「弁明しない、運命を受け入れる」と解釈できる。
キーナン自身としては、広田を死刑にまで追いつめる根拠は考えられなかった。また、「自ら計らわぬ」という生き方を理解できるほど、東洋的な心情についての知識もなかった。P.345
ほぼ戦勝国で構成された東京裁判、当時の日本のことを詳しく知る人が「裁く側」にいたとは考えにくい。
軍部からは「広田は弱腰」と見なされていた:
そして、その工作を推進している広田外相は「害相」であり、外務省は「害務省」であると罵るなど、露骨な非難をはじめた。特に、参謀本部の影佐(かげさ)中佐などは<広田が日本側の和平希望や条件を軽率に中国側に知らせるのは、けしからん>とし、「広田を殺すか、逮捕せよ」と、触れ廻る始末であった。P.280
当時の世論はどうだったのか、以下はその一例:
右翼団体なども、これに呼応するように排英運動を展開しはじめた。イギリスは、世界における旧勢力の代表であり、新興の日本やドイツなどを抑圧しようとしている。中国における排日運動をけしかけ、蒋介石政権に対して援助を惜しまぬイギリスは、日本にとって敵性国家に他ならない、という呼びかけである。マスコミや、イギリスをライバル視する紡績業界などの動きも活発になり、イギリスといえば「不義不正」の代名詞にされかねない勢いになった。P.280
日本を大戦に向かわせたのは「軍部の暴走」と一言では済まない。
メディアが煽り、国民が熱狂し、
慎重なリーダーを「弱腰」と切り捨てる構図
これは過去の話ではなく、今でも世界のどこかの状態。この日本でも皆無ではない。
評伝的フィクション
本書は評伝に分類されるだろうが、私がこれまで読んだ評伝とは違う印象。多くの評伝では、著者の感情がどうしても入ってしまうが、本書は「極限まで著者の感情を抑えている」気がする。
ただし、単なる「伝記(事実の羅列)」でもなく、「小説(完全なフィクション)」でもない、極めて高い次元での「評伝的フィクション」と言えるだろう。
広田を過剰に美化したり、他の人や判事などを罵倒したりしない。その代わりに、当時の公文書、日記、証言といった「乾いた事実」を丁寧に積み上げる。この「抑制」こそ、「当時の世相の異常さ」や「広田の孤独」を生々しく読み手に抱かせてるのでは、と思う。
著者の主観を抑え、徹底して『事実の集積』で描かれたからこそ、広田弘毅という人の無言の叫びが、何十年経った今の私にも、これほどまでに痛烈に届いたのだと思う。
おそらく、学校の教科書にある広田弘毅の記述はあったとしても僅かだろう。A級戦犯として東京裁判の結果通りの記述である可能性もある。「教科書問題」の難しさを感じるが、その点を議論する気はない。結局のところ、「真実は人の数だけあるもの」で「たった一つの事実」への解釈の一つに他ならない。
Bod Dylan の歌詞を思い出した:
風の向きを知るのに、気象予報士はいらない
教科書がどう書こうが、戦勝国がどう裁こうが、私には関係ない。予報士(誰かの解釈)に頼るのではなく、自分の目で見極め、自分の頭で考え続けたいと、本書を読んで改めて思った。

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