2010年12月12日日曜日

イヌがいっぱい

昨夜の予報では確か「雨」のはずが、かなり良い晴天。予定の長距離ツーリングを断念して昨夜は深夜まで遊んだので朝寝坊、ガッカリ...。長距離は諦めるとして、いつもの海岸線をじっくり走ろうと昼前に出発した。

そうしたところ、「国家のおイヌさん」らがウヨウヨいる。「頭かくして尻隠さず」のような所にも潜んでいる。そして噛まれた。その噛み付き方が明らかに不当だったので隙を見て逃げた。何の後悔もヤマシサも感じなかった、そして心の動揺さえも無かった。

そのイヌの発言に笑った。

イヌ:「今日はイヌがたくさんいるから気をつけてね」
オレ:「(アホ言え)気を付けるのはそこじゃないでしょ...」
イヌ:「あ... 」

イヌは色々と言い訳がましいことを吼えていたが無視した。

橘玲の訳(超訳)による「不道徳入門」を読んでいる。詳細は後日書くとして、そこに述べられているのは国家権力の規制、抑圧の無意味さ、正しくは不当さが明快な記述で記されている。国家の名の下に行われるこれらの行為は、例えば犯罪の場合、ほとんど場合において抑止力にはなっていない。むしろその反対の可能性の方が高いと考えられる。多くの反対意見もあるだろうが、抑止力の効果を正しく証明するのは難しいことでしょう。

今回のイヌの場合、奴らの検挙率と交通事故の因果関係が統計的に有意とは到底考えられない。公表されているデータによる因果関係なんて無視すべき、だってイヌが自分たちで作るのだから結果は見るまでもない。では、イヌらは何の為に噛んだりしているのだろうか?

「仕事をしているふりをするため」

としか考えられない。先ほどの因果関係を信じるしかないイヌは、検挙率を挙げないと評価されないだろうし、仕事をしていないと判断されるから。

イヌはやっぱり「パブロフのイヌ」の如く、ワンパターンな行動しか取れない。もっと言えば自分の意思で動くことがない。三十朗の如く今度はもう少し気をつけなよ。じゃ、あばよ」てな具合に終われば、こんな私でも深く反省したと思うし、ある意味で尊敬したかもしれない。大都会に暮らしていた頃に、そんな体験をしたことがあるので、これは地域性の問題もあるのかもしれないが、そのことはもう忘れることにした。

もうこの話題はオシマイ。述べる価値はもう無い。イヌのことが身をもってよく分かっただけでも収穫。
まだまだ走り足りない。イヌのことは忘れたが、イヌがいっぱいいる方面は遠慮したいので、久しぶりに自宅裏の海岸線を走った。

この道は良い道が工事中だったのと、ドカではちょっと辛い道もあるので暫く走ってなかったが、ヒロシの「ドカでダート的な走りも出来るようになった方が良いぞ」の言葉で行ってみた。

ダート的な走りが出来たか分からないが、以前よりも「酷道」に苦痛を感じなかったのには驚いた。力みが無くなったのかもしれない。

道路工事も終わっていて、快適なワインディングに満足。そしてこの近さは魅力的。見直しました。

同じようにイヌを避けてかどうか分からないが、数台の同じようなライダーとすれ違う。みなさん妙にフレンドリーでお互いに挨拶を交わす。心和む瞬間です。

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