2001年10月11日発行
とある経済アナリストたちのメールマガジンで取り上げられたのに興味をもって購入した、初版の頃だったと記憶する。しかし買ったものの読んでいなくて、買ったのは初版の頃だから10年は放置していたことになる。引越しの度に大量の本を処分しているので、処分されずに残したのは、いずれ読みたいという願望が強かったから。
ローレンス E. リフソン リチャード A. ガイスト
東洋経済新報社
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1997年のノーベル経済学賞はロバート・マートン、マイロン・ショールズの二人による「デリバティブの価値を決める新手法開発」に与えられた。その功績は簡単に言えば「金融デリバティブ理論を解明して、金融デリバティブ(金融派生)商品を作りやすくした」こと。
当時「デリバティブ」という訳の分からない言葉は、同じように声高に騒がれていた高度金融工学という言葉と一緒くたにして胡散臭さしか感じなかった。ちなみに、当時の「金融工学」の流行とは、単に高速コンピュータが身近になって、それまでよりは尋常な量の計算が可能になったという「狂喜乱舞」、それも計算好きの経済学者やアナリスト、マニア発の現象、と私は勝手ながら理解してる。「計算によって未来が予測できる」(「限りなく近い未来」でも可)なんてやっぱり今でも胡散臭いです、私にとっては。
先に挙げたノーベル経済学賞の二名が参加するヘッジファンド「ロングターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)は1994年の設立なので、1997年の受賞は現実の応用への評価も含まれていたのでしょう。ところが翌年1998年にはLTCMは空前の損失額で倒産するのです。この事件はノーベル経済学賞というものに少なからず疑問を感じてしまう一例。
そのノーベル経済学賞の2002年の受賞者はダニエル・カーネマンで
心理学研究の洞察を経済学に導入した功績
特に不確実性のもとでの人間判断と意志決定に関する研究
が称えられての受賞。それまでの経済学賞とは完全に一線を画するテーマでの受賞だが、私も含めて多くの人にとって身近に感じられるテーマでもある。とはいえ、このテーマで経済学賞の受賞という点についても、先のデリバティブでの受賞同様に疑問に思う。
結局のところノーベル経済学賞なんて無くなっても良いのではないでしょうか。当のノーベルさん自身も経済学賞なんて認めてないでしょうから。ちなみに日本人からノーベル経済学賞の受賞者は出ていません。その理由は感覚的に分かる。
とはいえ、このノーベル賞受賞が本書に興味を持つきっかけの一つになったのも事実なので、ノーベル経済学賞を全否定するのも躊躇してしまうが、それだと単なる広報行為との違いが分からなくなる。ノーベル賞に広報要素があることは否定しませんがね...。
さて、本書の副題は
「損は切って利は伸ばせ」が実践できない理由
とある。多分、この副題に反応する人は多いと思う、投資経験値と比例して多いのではないだろうか。本書のいくつかの分析を読むとその理由に納得するところは多い(その対策は別問題ですよ...)。一例を挙げる。
「買いはゲームの開始であり自らが選択して開始するポジティブ(前向き)な行動であるが
売りはそのゲームの終わりを意味してネガティブ(後ろ向き)な行動」
と多くの投資家が心理的に捉えている
「マネーゲーム」「強欲」と揶揄するのも結構で自由なのだが、高度な知的ゲームという側面を考慮していない発言は無意味です。そして、ゲームの参加者は自分のリスクの範囲でやっているので心配ご無用。「身ぐるみ剥がされる」というリスクを取る人がいるのは仕方がない、色々な人がいるものです市場にも、世の中にも。
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