英語の表現で「Let’s agree to disagree」というものがあります。直訳すると「同意しないことで同意しよう」。無理やり意見や感想を合わせる必要はない、「へえーあなたはそう思うんだ! 私とは違うね」とお互いの違いを平和的に認めましょう、ということ。
ということ。
このコラムに全面的に同意しながら、コラムに関することをこうやって書き始めたが、なかなか書き進められない。このブログの投稿は、書きたいことが浮かぶと大抵はちゃっちゃと書き進められるのだが、今回は筆が直ぐに止まってしまった。
書こうと思った理由と書き進められなくなった原因は、このブログでも「意見と事実の違いを意識」しながら書いていること、とはいえ「結局は俺の単なる意見に過ぎないのではないか?」という疑問に襲われたから。
音楽、読書、映画、英語、データ分析、数学など、分野を限定せずに日々「面白い」(「興味深い」という意味、interesting, exciting という感じ)と感じたことを書いている。なるべく非難や気分が悪くなることは書かないようにしているが、自分の意見をハッキリさせるため、比較のために非難的なことは避けられない場合もある。
大抵は「自分の意見は正しい、事実だ」という思いで書いているが、こうやって書いてみても
単に俺だけの意見ちゃうの?
これを書きながら聞いているのは、NPR の英語によるニュース。こんな風に、すっかり日本のメディアから離れて、海外の面白い記事を見つけると、どうしても日本のメディアの「ダメさ」が頭をよぎり、そんなことをついブログに書いてしまう。
「日本のメディアのダメさ」は私の中では「事実」であるが、そうじゃない人がいるのはもちろん分かっている。正に「Let's agree to disagree」なのだ。
Mami が言うように
自分と違う意見に出くわしたとき、特に、「ええ?! そんな風に思うなんて考えられない!」という時はなおさら、同意できなくてもシャットアウトせず、意見なんて別に合わなくていいということを覚えておける大人になりたいです。
本当にそう思う。
自分と違った意見に「何でそうなるのかなぁ〜」と露骨に反発していた時期もあった。でも、今は違う。
ただ、昔と今と変わらないのは、事実と信じる自分の確たる意見を持ち、それを言葉にできるようにすること。変わったのは、相手の意見を非難することはせず、やり過ごす術を身につけたと思えること。少なくとも、そうしようと努めている。
「自分自身を良いように変えていこう」とは常に思うが、他人にそれを押し付けることだけはしたくない。ビジネスでは「成功」という目標のために、そうしなければならない状況もあるが、それ以外の多くの場合では他人に影響を与えるなんて考えは持たないようにしている。
「多様性」の大切さは常に思っている。その中には、当たり前に「自分と違う意見」もあるのだ。「何が正しいか」なんて、多くの場合、主観的なものだ。Mami が言うように「個人的な意見」なのだ。
受け入れがたい「個人的な意見」は、自分に害がなければ、やり過ごせば良いだけだ。耳障り、目障りなテレビを消すかのごとく。
真実を追い求めるジャーナリズム的な考えが好きというのもあって、統計学やデータ分析、そして数学に没頭する日々。本当に「ノイズ」「ゴミデータ」が多いことに気づく。それでも、様々なデータ、情報の中に「真実」が潜んでいることは「事実」なのだ。人間の行動や意見は、必ずしも「事実に基づかない」ことを知った上で行動し、「真実」を見極めていきたい。
「意見と事実」、究極的には「他人との接し方」「世の中との向き合い方」が問われるテーマです。

0 件のコメント:
コメントを投稿