2011年11月以来、実に 4 年振りに「旬な牡蠣」を食した。写真は大村湾産、まだ食べてない方に「ごめんなさい」と発したくなるほど美味かった。
もちろん牡蠣小屋は「園」、ていうかここしか行ったことがない。前回は旬を過ぎた今年の 3 月だった。
平日の午後 3:30 過ぎに営業しているか不安だったが、中を覗くと先客が 3 組ほどいる。もちろん、網で焼いて牡蠣を食ってる。
そんな店内を覗く私に、前回長話しをした女性店員が私に気づいたようなので、軽く会釈した。
店内に入ると、例の婆ちゃんがお出迎え。私のことはすっかり忘れているご様子で
どっから来たんね?
と。
私の答えなど興味はないのだろう、婆ちゃんは私を一見さん扱いで色々説明してくれる。これも恒例行事としよう(笑)
買ったのは、大村湾産と佐世保産の二袋、手前が佐世保産(写真は、すでに大村湾産は食べて数個しか残っていない)。
4 年前の記憶でしかないが、なんとなく一袋の量が減っている気がする。それに、大村湾産の牡蠣の大きさが記憶より小さい。
そんな疑問もありながら、焼き始める。やっぱりあの女性店員が手伝ってくれた。
私のことは覚えていて、また色々話した。息子さんは東急電鉄に就職、何故に鉄道員に興味を持ったのか、などなど。
大村湾産の牡蠣のサイズのことを尋ねると、やはり 1 月に入ってからが良いということ。
これは、2 つくっついてるの図です。
これも大村湾産で、身が大きのと、塩気が少ないのが特徴。
「牡蠣さんありがとう」と思いながら食してしまうのは何故だろう?「ダイレクトに生き物を食している」この雰囲気がそうさせているのかもしれない。
こちらが佐世保産。大村湾産と比較して身が小ぶり、塩気も多い。この二つの牡蠣の味の違いはハッキリしてるので、好みは分かれるでしょう。
選ぶとなれば大村湾産ですが、どちらも食べますよ (^^)v
4, 5年ぶりの再会
そんな風に女性店員と談笑している中、幼なじみが使う私の呼び名が聞こえた、「***じゃなとね?」。
かなり不意をつかれたが、呼んだのは「バン」だった、番長の「バン」。女性に対して失礼なあだ名だが、ガキの頃から怖い雰囲気の彼女だからこその愛称。彼女も "Resting Bitch Face" かもね...。彼女に会うのは 4, 5 年振りだと思う。
女性店員:あらぁ〜、二人知り合い?
知り合いも何も、記憶が始まるガキの頃からの幼なじみです。私は「バン」とは呼ばず、下の名前で呼んでます。
牡蠣小屋で、しかも平日の午後 4 時に「バン」と会うとは微塵も予想できないこと。周囲の人をあまり気にしない私なので、向こうが気づかなければ出会うこともないだろう。タイミング的にも、ちょうどバンは帰るところだったので、その偶然もある(仕事の会議の帰りとかだそうだ)。
偶然か必然か、確率的なことは私とバンの行動パターンを調べれば判明するが、そんなことはしない。ただ「決して高くない確率でさえも起こり得る」という事実があるのみ。科学的に考えない愉快さもある。
単調を打破:誰かと何かを共有
今日で、ちょうどひと月間、毎日ジョギングしてしまった。今日も午前中に走った。完全に日課となった。知識を深める方向性が決まったり、新しい楽器を演奏し始めたり、読書の幅が広がったりと、有意義なひと月ではあった。
ただ、楽器の演奏力も、知識の蓄積も、そう簡単には進歩しないので、煮詰まる時もある。むしろ、煮詰まる時の方が多い。気がつけば「単調になってきてる...」という思いが頭をよぎる。
今日の午前中、快晴の下をジョギングしてると「気分を変えよう」と、急遽「牡蠣小屋行き」を思い立った。昼食を食べて楽器を演奏するまでの日課は同じだったが、午後からは一変させた。結果、午後だけの短いツーリングだったが、気分はこの上なくスッキリした。
日も暮れて、諫早の叔母さんの家に、牡蠣のお土産を持参。牡蠣好きという叔母さんなのに、長崎産の牡蠣を食べたことがないと言っていたので。それと、自分ひとり楽しんだ「罪滅ぼし」をしたくて、私が食べた量と同じ牡蠣をお土産にした。もしかして、「誰かも食べた」という共有感を持ちたかったのかもしれない。
「誰かと何かを共有している」という気持ちは大切にしたい。ただしそれは、寂しさとはまったく次元が違う。孤立したところで楽しくはないということ。
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