2016年9月26日月曜日

脇役が主役へ:持続可能性重視の「第三の皿」

食の未来のためのフィールドノート・下: 『第三の皿』をめざして:海と種子」からの続き。


食の未来のためのフィールドノート・下:「第三の皿」をめざして:海と種子
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先日のお盆の出来ごとで、「和牛肉よりホルモンの方が美味かった」と書いた。これを、どれだけの方が信じてくれるか分からないが、少なくとも、同様のホルモンを食したことがない人には反論されたくない。もっと言うと、これは個人の「嗜好の違い」とあっさり片付けたくはない。

「和牛肉がホルモンより美味い」というのは、メディアが作った幻想かもしれない。あるいは、和牛肉をブランド化したい「産業」の思惑かもしれない。そんな「第三者の意見」ではなく、自らの「味覚」で判断してほしいのものだ。

そして、ここで取り上げるのは「第三の皿」、本書の原書のタイトル "The Third Plate" の意味と目指すもの。

その前に、おそらく、日本のメディアで報じないと思われる見解を本書から引用する。あの「近大マグロ」への批判 だ。マグロ、マグロと騒ぐ風潮にずっと批判的な私は、近大マグロのことを知った段階から、嫌悪感しか抱いていない。

(アンヘルは)近大マグロについて語り始めた。野生のマグロの個体数は減少する一方だが、持続可能な解決策として開発された「完全養殖」を近代マグロは、いまでは市場に数多く出回っている。「あれはまずい」とアンヘルは切り捨てた。「脂肪が多すぎる。1 分も手に持っていれば、もう脂でべとべとだよ。食べてみると、これがまたひどくて、考えただけで胃が痛くなる。マグロに対する侮辱だな」。そう捨て台詞を吐いたときの様子はエデゥアルドとそっくりだ。「自然に反するものは全部間違っている。おれは本物の食材だけで料理を作るね」P.101

このアンヘルの反応は、以前テレビで見た日本人消費者が近大マグロを食べた時と真逆だ。「むしろ天然物より美味い」と絶賛する意見も。「嘘だろ...」と呆れてそのインタビューを聞いたが、「それって人工物に騙されてるってことじゃん」と笑ってしまった。

アンヘルの言う「脂でベトベト」は、日本人の典型的なマグロへの嗜好を強調した結果だと思う。「天然物より美味い」と「言わせる味」は想像できる。

個体数が激減した水産資源を、養殖で賄うことは、持続可能性にはならない。エネルギー消費からも、自然破壊の観点からも、持続可能性とは反する。それに天然のマグロは、我々が一般的に想像するよりもっと巨大になる。そんな成長の前に捕獲する行為を続けてることが持続するはずはない。


骨も血も含めて丸ごと味わう

食の未来のためのフィールドノート・上: 「第三の皿」をめざして:土と大地
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本書の翻訳は素晴らしい。そんな「訳者あとがき」から「第三の皿」を解説する。

これまでのレストランでメインディシュとして出されてきた料理が「第一の皿(ファーストプレート)」で、たとえば皿の中央には厚切りのステーキ肉が置かれ、その横に付け合せの野菜が添えられています。

これが今でも料理の主流ともいえる。私にとってファストフード(or ジャンクフード)は「皿」にもならない。健康志向とかではなく、単に美味しくないから。「丸ごとトマトを食べさせるファストフード店」なら、通うことでしょう。

「第二の皿(セカンドプレート)」はそれよりも素材へのこだわりが強く、放牧された家畜の肉や有機栽培の野菜が使われ、メニューに生産者の名前が載ることもあります。外見は「第一の皿」と大差ありません。

実は「有機栽培」と称されているものを買ったことがない。しかし、有機栽培している野菜は、日常的に食べているのではないかと思う。ただ、本書を読むと、有機栽培よりも先を見越した「持続可能性の方法」を期待したい。

「第三の皿」では、素材へのこだわりがさらに徹底します。一頭の家畜のあらゆる部位が無駄なく使われ、野菜づくりには土の改良から取り組み持続可能性が重視されれます。肉を偏重する傾向が見直され、たとえばニンジンステーキにばら肉で作ったソースが添えられるなど、主役と脇役が逆転します。

ホルモンが主役どころの騒ぎではありません、ニンジンが主役なのです。それを肉のソースで食べるのメインディッシュ。

私が地元に戻ってきて、食に関して大きく変わったのは、野菜を大量に食べるようになったこと。理由は、単に料理のバリエーションが広いのと、何と言っても美味しいから。大発見なのは

肉や魚は野菜を美味しくする
or
野菜が肉や魚を美味しくする


なので、ニンジンステーキには特に驚きはしなかった。むしろ、料理のアイデアとして抜群。

次は、本文からの引用

調理のプロセスに豚骨の炭を取り入れたクロサバウのグリルは、際立った一皿に仕上がった。では、豚の血はどのように使うのか。(略)ブーダンノアールとはフランスの伝統的なブラッドソーセージで、穀物や廃棄処分のくず肉がしばしば材料に使われる。アダムのバージョンは素晴らしいテクニックと凝固作用の奇跡を巧妙に合体させたもので、ほんとうに血だけしか使わない。味は強烈で、個性的なソーセージと言ってもよい。つぎの世代は、このようなソーセージを大歓迎するだろう。P.336

「第三の皿」に向かって



「血を使ってます」というだけで拒否反応を示す人は、本書に共感できないだろう。その試みの背景も知らずに判断することが悲しいが、なんと言っても疑問なのは

食ってもいないのに拒否する姿勢

未体験の味や食感を想像できるはずはない。食べたり触れたりしない限り、そんな感覚を鍛えることも豊かにすることも不可能なのだ。

動物を丸ごと味わうためには動物のあらゆる部位を使わなければならず、そこには骨も血も含まれる。P.336

「持続可能性を重視」の定義は割愛するが、「動物を丸ごと味わう」ことから想像して頂きたい。

丸ごと味わえる動物が育つ
そんな動物が食べるものは自然豊かなもの
自然が豊かとはどういうことか?


単一農法の小麦畑は、決して「豊かな自然」ではない。チキンが配合された餌を食べる魚の不自然さ、養殖産業が壊す自然、捨てられる魚、見捨てられる部位...。

「第三の皿」の定着には、生産者、シェフ、そして消費者の意識の大変化が必要。そこでは、決して美味しさは犠牲にならず、むしろ格段に美味くなると信じている。

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