2016年10月19日水曜日

ロックツー:大観峰で落ち合おう 2016(震災の傷跡)

念願の『べんとうのヒライ』」からの続き。

こうやって、大観峰で XJR さんと落ち合うのは2011年10月18日以来。5 年前だ、その間にオリンピックは二度開催された。もっと経過しているような気もするが、記憶はかなり鮮明だ。

お互いのバイクも違っているが、このワクワク感はいつも通りか、それ以上だ。
これが、大観峰までのルート、そして次の「三愛レストハウス」まで(参照:全ルート)。


震災の傷跡

R57 から大観峰に向かう R339(通称ミルクロード)は、震災のためか迂回路になっていた。そのおかげで、この道では体験したことのない渋滞、走行ペースは遅い。そのペースのため、震災の爪痕を数多く目にすることになった。

大きかった被害の箇所は修復されたようだが、後回しにされている被害の様子を目にすると、胸が詰まった。

30 度は傾いている道路脇の小屋
傘の形状をした休憩施設で、傘の上部が真下の地面に

そんな光景を見ていると、林の一帯がところどころ「傾いて見えた」。もしかして、本当に傾いているのかもしれない。

震災後のテレビ報道は、恐怖を煽るようなものであったり、被災者の気持ちを無視したものに見えて、非常に腹ただしかった。避難所に「土足」で報道陣が大挙するのを見るたびに、「奴らは何を伝えたいのか?」という疑問しかなかった。

我々は被災者に寄り添ってますよ
全国の皆さん、それは伝わってますよね!?

というメッセージしか伝わらなかった。

4月の震災から半年経過しても、こうやって見る「傷跡」の方が、テレビの報道なんかより心を打つ。

世界的に見ても豊かな自然水、温泉、その他の豊かな資源

それらの代償として「震災」がある、という考えは現地の方々に不謹慎かもしれないが、私にはそう思える。そんな報道の仕方はあまり聞かない。私は地質学などの知識は皆無だが、日本全体がそういった地形の上にあって、そこに食をはじめ多くの文化が根付いてきたのだ。

「大自然からの良いとこどり」は、やはり都合が良すぎる考えだろう。

誤解して欲しくないのは、こんな考えの私だが、私は大都会の暮らしを望んでない。むしろ阿蘇のような大自然で暮らしたいと思っている。そうなったとしても、今と考えは変わらないだろう。むしろ、もっと今の想いを強く意識することだろう。

こうやって 5 年を経ても、ワクワク感たっぷりに再会できる大観峰や阿蘇に感謝するしかない。

ツーリングと我々、そして唐揚と」に続く。

 ST:ほな、行きますか〜!!
 ドカ:おぉ、今日はガッツリ走ったるで〜!!

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