- 「ウチでは昔からこうしてきた」という「常識」が幅をきかせ、その正当性が検証されない。
- 経営陣がデータや事実の裏づけのない意思決定をしても、批判されない。むしろヒラメキ型のリーダーの方がもてはやされる。
- 分析のスキルを備え、データの山から宝を掘り起こそうとする人間がいない。何も思いつかないとき仕方なくやるのが分析だとされ、しかも専門知識をもたない人間が取り組んでいる。
- 「そのアイデアはよいのか悪いのか」よりも「それを言ったのは誰か」が問題にされる。
注意:ここでは後の説明のために番号を振った。
私は、大企業も含めて少なくない企業を見てきたが、どの企業でも上記の全てに当てはまるようだ(今では、多少の改善があるのを願うばかり)。
これは、原書 Competing on Analytics: The New Science of Winning の日本語版「分析力を武器とする企業:強さを支える新しい戦略の科学」の「序」からの引用。原書の発行は 2007年、翻訳版が2008年7月、ほぼ 10 年前。
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上記の4つについて、何が悪いのか考えてみる。
1. 「ウチでは昔からこうしてきた」という「常識」が幅をきかせ、その正当性が検証されない。
「伝統技能かよ!」と突っ込みたくなる(「伝統技能」でさえ、時代によって変化しなければ生き残れないと思う)。
「検証されない」ではなく、正確には「検証できない」。だから疑問に思うこともないし、状況にあった対応を考えることもできない。
世の中が、「昨日と同じ今日、今日と同じ明日」ならば問題ないのかもしれないが(退屈な世の中...)、そうはいかない。企業的には「死んでいる」と思う。
過去の成功を「運」と考えられる経営陣は少ないのかもしれない。
「検証されない」ではなく、正確には「検証できない」。だから疑問に思うこともないし、状況にあった対応を考えることもできない。
世の中が、「昨日と同じ今日、今日と同じ明日」ならば問題ないのかもしれないが(退屈な世の中...)、そうはいかない。企業的には「死んでいる」と思う。
過去の成功を「運」と考えられる経営陣は少ないのかもしれない。
2. 経営陣がデータや事実の裏づけのない意思決定をしても、批判されない。むしろヒラメキ型のリーダーの方がもてはやされる。
優れた才能がいつもデータに頼るとは限らない。ジョブズは(略)iPod, iPhone, iPadの開発では、データではなく、自らの直感を駆使した。(略)ジョブズは、iPad発売に当たって市場調査は一切実施していないと説明した。 P.251
これは著書「ビッグデータの正体」から。ジョブズとは Steve Jobs のこと。
私は Jobs を「ヒラメキ型のリーダー」とは思わない。というか、そんな風に分類される人ではないと思っている。しかし、Jobs のような行動を「ヒラメキ型のリーダー」と奉って、データ分析なんて蔑ろにする傾向はあると思う。
日本で未だに松下幸之助が「経営の神様」的に取り上げられる度に失笑する。単純に「古い」。
要するに、経営陣に Jobs や松下幸之助のような才能がいる確率は極めて低い。いたとしても、その才能が生かされる世の中かどうかも怪しい。
3. 分析のスキルを備え、データの山から宝を掘り起こそうとする人間がいない。何も思いつかないとき仕方なくやるのが分析だとされ、しかも専門知識をもたない人間が取り組んでいる。
単に人材不足というより、データ分析の価値が評価されていない。というか無視されているのが実態。
ゲイツOSのエクセルで「カラフル」にデータを集計はしても、それは「分析」とは呼ばない、それは「集計」なのだ。それを「分析」と呼んでいたら、やるべきことの 10% もやっていないかもしれない。
4.「そのアイデアはよいのか悪いのか」よりも「それを言ったのは誰か」が問題にされる。
単に人材不足というより、データ分析の価値が評価されていない。というか無視されているのが実態。
ゲイツOSのエクセルで「カラフル」にデータを集計はしても、それは「分析」とは呼ばない、それは「集計」なのだ。それを「分析」と呼んでいたら、やるべきことの 10% もやっていないかもしれない。
4.「そのアイデアはよいのか悪いのか」よりも「それを言ったのは誰か」が問題にされる。
未だ日本企業は Immature か?
子供は immature「未熟」でいいけど、大人が目指すべきは mature「成熟」なのは、多くの人が同意してくれるだろう(Jim Jarmusch に同意した amateur とは視点が違う)。これを企業にあてはめて、「未熟」ではやはりダメでしょう。では、企業が「成熟」するとはどういうことだろう。
こういうことを明確に示す企業を「ビジョンがある」と呼ぶのだと思う。「日本、そして地域に貢献する、云々...」では、何も語っていないことと同じ。
ちまちまとデータを分析する経営者なぞより大胆なビジョンを掲げる経営者の方が魅力的だと考えるのは、ダイエットも運動もせず痩せようとするようなものである。そもそもビジョンと分析は相矛盾するものではない。例えば私の業界では、スティーブ・ワインとジャック・ビニョンはともにビジョナリーな経営者で、すばらしい功績を上げている。だが二人が打ち出す革新的なアイデアは、どれも緻密な分析に基づいているのだ(どちらも統計分析を専門的に学んだことはないけれども)。
これも「序」からの引用。
派手な業績は目立つが、その裏の苦労が考慮されることは少ない。そもそも公にしないだろう。そんな派手さの裏に、無数にある「失敗」が取り上げられることは少ない。まぁ、失敗の話なんぞされても「ウケない」からだろう。
そもそも、明確な目標がなければ、「どう失敗したか」すらも明らかにできない。データ分析をしないのは、「失敗を曖昧するためなのか?」と穿った見方までしてしまう。
先の引用文の続き。
分析力を事業経営に生かそうとするなら、たとえデータが少ない分野でも、あるいは複雑で厄介な業種でも、前へ進まなければならない。安易で苦労の少ない道へ逃げ込んではいけない。
「汗水垂らして足で稼ぎました」という苦労だけが評価されて終わっている。結果は、それほど問われない。「汗水垂らして足で稼いだ」知識や情報を、データとして分析しなければ、企業の資産にもならない。
こう見えても私は、「日本企業に希望」を見出したいと真剣に思っている。
ベンジャミン曰く「嘘には三種類ある。嘘、大嘘、統計だ」に続く。
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