2021年9月23日木曜日

絶対音感

絶対音感

著者:最相葉月(さいしょうはずき)
発行:2002年10月1日文庫版初版
  (単行本1998年3月10日)

それは、天才音楽家へのパスポートなのか?

当時、本書を手渡されて最初に目にしたこの一文。本書の「帯」に書かれていたこの一文は、以来ずっと私の記憶に焼き付くことになった。

今回で読むのは二度目であるが、前回は覚えていないほどの昔。最初に就職した東京の会社の同僚(エノキ、という名前だったはず...)が「これ、読む?」みたいな感じで本書の単行本を差し出した。多分、私が当時ピアノを習い始めたことや、バンドを演ってることを知っていたからだと思う。

一気に読んだ記憶があるが、非常に面白く、思い返せば、その後に続く「ジャーナリズム的な本」が好きになったきっかけが本書かもしれない。誇張や思い込みのない、淡々としながらも「真実」に近づこうとする「ノンフィクション」にワクワクした。


周囲の「絶対音感」

その当時、読後、数名の音楽好きに「絶対音感はあるか?」と尋ねた。

まずは、同じチームで働いていた「イワイ君」、吹奏楽器でオーケストラの一員だった、彼は「ありますよ、踏切の音とかドレミで言えます」と。そして私と同じ長崎出身で同僚の女性「ヤマグチアキコ」も「あるよ、ピアノやってたから」と。多分、彼女が言ったと記憶するが「絶対音感、誰でもあると思ってた」と。

そしてふと思った。大学生の頃、ヨーロッパ風居酒屋の厨房でバイトしてた頃、ウェイトレス兼ピアノ弾きの看護学校生の「ハラさん」は、「初見で弾ける」と言いながら、記憶を頼りに「ラジオ体操第二」を軽快に弾いてくれた。彼女にも絶対音感はあったかもしれない。

最後は、当時習い始めていたピアノの先生へ「絶対音感、ありますか」と。即答されたのは「ないわよ、相対音感ならあるけどね」と。先生とその後に何を話したかを具体的に覚えてないのは、「絶対音感と、良い音楽が弾けることには(強い)関係ない」ような私と同じ感想だったからだろう。

「絶対音感がある」と答えた二人は私と同世代、「ラジオ体操第二」のハラさんも二歳ぐらい上。「ない」と答えたピアノの先生とは10歳以上は年上(だったはず)。たったこれだけの人数で判断はできないが、世代の違いはあるかもしれない、つまり「ピアノをはじめとする楽器の教えられ方」の違い。


「生きる力」

二度目の本書だが、驚くほど内容を記憶していたのは、私の大好きな音楽のことで、かつ共感することばかりだからだろう。特に鮮明に覚えていたのは第八章「心の扉」、五嶋節、みどり、龍、そして龍の父である金城摩承(まこと)、彼らの音楽や家族への向き合い方に心動かされる。

今でも日本では、絶対音感が「もてはやされている」かどうかは知らない。が、「絶対音感」を「絶対的な何か」と勘違いしている人は、一定数存在するのは間違いないだろう。

つまり、どれだけ相対的に音楽を把握できるかと言うことこそ、音楽能力を決める重要な点ではないだろうか。絶対音感がなくとも、優れた音楽家は大勢いる。基礎技術としての価値はあったとしても、音楽能力の本質が絶対音感に支えられているのではないということは、もはや明確である。
千住真理子はいう。
「私は絶対音感はあってもいい、なくてもいいものだと思うのです。(略)世界は広いのです。一つの決まったヘルツや音階でセッティングされてずっと勉強してしまうのではなく、もっと幅をもった国際的な教育が必要なのではないでしょうか」P.254

本書は「絶対音感とは何か?」を語っているだけではないし、その答えが明確になっている訳でもない。そもそも「音楽という芸術」に、数学の公式のような明確な方法論は存在しない。「人間というものが科学的に精緻に解明」されない限り、そんなものは存在しえないのだ。

絶対音感は物心がつく前に親や環境から与えられた、他者の意志の刻印である。音楽を職業とするには、それだけではまったく不十分なのである。
パステルナークの代表作『ドクトル・ジバゴ』の主人公、ジバゴはいっている。
「才能とは、もっとも高く、もっとも広い意味において言えば、生きる力なのです」P.256

「才能」という言葉が嫌いな私だが、「生きる力」という意味では納得する。

次の一節は、別の表現で同様のことを言ってる:

自分の受け取り皿になかった音楽との出会いは、彼らの耳にとって大洪水だった。しかし、そのとき、それらを理解しようとし、適応できるように訓練し、新しい言語を獲得するように新たな自分の表現の幅を広げていったのである。意識のチャンネルは、やがて無意識のチャンネルへ、そうした脳の振る舞いを私たちはときとして、努力と呼ぶ。P.241

遅かれ早かれ、音楽家は「絶対音感」だけでは対応できない状況に直面する。「適応」する、つまり「サバイバル」するには「訓練」が必要、目指す「高み」へ向かうには「努力」するしかないのだ。

それが、パステルナークの言うように「生きる力」なのだろう。これって、音楽に限った話ではない。

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