2022年1月16日日曜日

プラットフォームの経済学:機械は人と企業の未来をどう変える?

プラットフォームの経済学

著者:Andrew McAfee, Erik Brynjolfsson
原題:Machine, Platform, Crowd: Harnessing Our Digital Future
発行:2018年3月27日(原書:2017年6月27日)
翻訳:村井章子

この手の本はここ数年、読む必要を感じていなかったが、顧客の「機械学習」(「機械学習」がピンとこないなら "AI" と読み替えても良い)システム導入が芳しくない「理由を探りたい」との思いから本書を手に取った。

結論から言えば、「理由」は本書にあったものを含めて、私は既に知っていた。

ところで「機械」"machine" という言葉は、古くは「蒸気機関」などの「ハードウェア」で、人間の指示通りに動く「もの」の印象が強い。私がやってる「機械学習」"machine learning" は「ハードウェア」というより「ソフトウェア」で(今現在のプロジェクトで、ハードウェアを動かす「機械学習」もやってるが...)「機械学習モデル」の判断で動くもの。

そうすると、偏見かもしれないが

「機械」をソフトウェア的に考えられない人は
機械学習を始めとした現在のプラットフォームを活用できない

これまで多くの顧客と話してきた経験からそう断定したい。


それも人の判断:「機械学習システム導入が進まない理由」

これも偏見だろうが、以下の人らが「機械学習を活用できていない」人の典型に見える:
人間とマシンの標準的な組み合わせを大幅に変えるとか、ときには逆転させるなどと言うと、大方の人が多いに深い不快に感じるようだ。多くの人が人間の直感や判断力を信頼しているし、もっと言えば自分の判断力には自信を持っている(いろいろな人とこの問題について話してきたが、自分の判断力が平均以下だと認めた人は一人もいなかった)。P.95

彼らは、私が「バカの判定法」と呼ぶ判定で "positive" な人と一致する。

上記引用の続き:
だが証拠ははっきりしている。システム2だけかシステム1+2かを選べる状況のほとんどで、システム2単独の判断のほうが、システム1+2の判断よりも正しいのである。だからといって、人間の判断は無用だというのではない。これまでに挙げたアプローチ、すなわちコンピュータに委ねる、人間の判断をインプットとして使う、人間の判断を適宜優先するといった方法を使って、人間の判断をよりよいものにしたらよいと私たちは考えている。P.95

私も同意見で、2016年9月に「明るい未来:最強なのは AI でも人でもない」に、「人間と人工知能の混合チーム」について記した。ちなみに上記引用を捕捉すると、「システム1」「システム2」とは、Daniel Kahneman 著 ファスト&スロー から。簡単に言えば「システム1」は直感的判断、「システム2」は理性的・論理的判断のこと。

さて、「機械学習を導入しないこと」はシステム1、2のどちら、もしくは「システム1+2」で判断されているのだろうか? 「システム1」だけで判断されるのは論外だが、「システム1」で「導入すべし」との強い「直感」はあり得るし、意外と大きな推進力となる(実際に、そんな人と出会う)。とは言え「システム2」での判断は簡単ではない。機械学習への一定の理解は必要だし、導入にあたって目指すべき姿を描けなければならない。

ここまで書けば、「機械学習システム導入が進まない理由」が分かりますよね?

最後に、機械学習モデルのエンジニアだけじゃなく、一般の人にも広く知っておくべきこと:
人間は、自分の知っていることすべてにつねにアクセスできるとは限らないのである。たとえば他人の顔を見分けるとか、自転車に乗るときなど、どうやってそれができるのか誰しもうまく説明できないだろう。暗黙の知識を明示するのはむずかしい。このことを、20世紀に活躍したハンガリー出身の物理学者にして社会科学者のマイケル・ポランニーは、「われわれは語れる以上のことを知っている」とみごとに言い表している。P.21

これを「ポランニーのパラドックス」と呼ぶそうだ。以下は Tacit knowledge「暗黙知」から:
The term tacit knowing is attributed to Michael Polanyi's Personal Knowledge (1958). In his later work, The Tacit Dimension (1966), Polanyi made the assertion that "we can know more than we can tell."
Tacit/Explicit Knowledge

では、「知った気になってるが実は知らない」のは「暗黙無知」なのかだろうか?

 

未読了メモ

読了していない本を、このブログで取り上げるのは初めてのこと。

本著者 Andrew McAfee, Erik Brynjolfsson、更に翻訳者も同じ(村井章子)による ザ・セカンド・マシン・エイジ は2016年に読んだ。楽しんで読んだのだが、本書「プラットホームの経済学」は予想に反して「良くはなかった」。結局のところ約500頁の本書は、第6章までの225頁で読了を諦めた。

原書発行が2017年(翻訳版が2018年)、その当時に読めばもっと興味深いものだったろう。機械学習に関する海外記事をずっと追ってきたので、本書は私にとって全く目新しくない。とはいえ本書のことよりも、機械学習の普及に関して「3年経過しても周囲に大きな変化がない」ことに落胆する気持ちが強かった。

「世の中、それほど速くは変化しないが、それほど遅くも変化しない」という感じなのかもしれない。

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