2022年6月8日水曜日

経営に終わりはない

経営に終わりはない

著者:藤沢武夫
発行:1999年2月25日第3刷(
1986年11月単行本)

わが友 本田宗一郎 で本田宗一郎のことを知ると、その「相方」であった藤沢武夫のことが気になって、手にしたのが本書。

とはいえ実は、その前に手に取った本田宗一郎著「得手に帆あげて」は序盤で読むのを断念した。本書で藤沢が批判しているように、その本は私には「良くなかった」。もっと言えば、そもそも本田宗一郎を「文章で表現するのは困難」なのだ。

ホンダ(本書では本田宗一郎のことを「本田」、会社は「ホンダ」と記されているようだ)がここまで発展した背景を知るには、本田宗一郎の視点も重要だが、多くの一般人にとって、本書の藤沢武夫の視点で知るのが最良と考える。


シンプルな一筋の太い道

次は、藤沢武夫の考えの本質、そして本田宗一郎との関係を端的に表す:
本田技研において、国家の軍事力に相当するものが技術力だとすれば、外交にあたるものは営業力です。この技術と営業とのバランスがとれていなければならない。ところが、往々にして、技術はその力を過大に思いがちになる。 
私は、初めから本田宗一郎の技術を信頼して、そのうえで営業を展開してきました。本田がこうなるといえば、必ずそのとおりになっていましたから、その前提に立った私の予想は必ず当たっていたのです。P.74

長年コンピュータシステムの開発のエンジニアとしてやってきた私だが、「技術と営業のバランス」が「取れている」と感じたことは稀だった。その経験から「エンジニア側から営業を育てるのもあり」との思いから、今の会社では私なりに「技術と営業のバランス」を取ろうとしている。

私の経営信条は、すべてシンプルにするということです。シンプルにすれば、経営者も忙しくしないですむ。そのためには、とにかく一度決めたら、それを貫くことです。状況が変わっても、一筋の太い道を迷わずに進むことです。P.151

誤解されがちなのが「ブレる、ブレない」との批判。「シンプルな一筋の太い道」を進んでいれば、「ブレる」批判なんて無視すべきこと。逆にそんな「太い道」がないと「ブレまくる」しかない。多くの人が「誰もがわかるシンプルな目標」を掲げて進められないだけ。


メディアが正しく語れないこと

本書によれば、藤沢武夫は独学で経営を学んだようだ。それだからこそ余計に、経営に対して「ダメな考え方」には敏感なように思われる:
本田と私とは、お互いに暇がなくて、なんにも話をしない日が多かった。最初のころは、いろいろな本にも書かれているように、毎日いっしょになって話し合ったものでした。けれども、もう方向が決まってからは、お互いの腹のなかは一つですから、話をする必要がない。ただ、やり方が違うだけです。
(略)
ところが、世間の人がホンダについて書いているのを見ると、そこのところが一体になっているように思っておられる。それはどうしてかというと、書いている人が戦国時代とか、あるいは三国志の世界を見るような頭しか持っていないからです。P.96

私が日本のメディアを避けているので、未だに会社経営を「戦後時代や武将」で例えているか不明だが、根強く残っている気もする。経営に詳しくなかった当時の私でも、そんな記事に対して「アホか?時代が違うやろが!!」と軽蔑していたものだ。

次もある意味「メディア批判」で、私も似たような記事を読んだ記憶がある:
空冷エンジンか水冷エンジンかという企業の別れ道のとき研究員たちが謀叛(むほん)を起こしたと書いた人がいたけれど、そういう書き方をされるから困る。そういう人たちには何も話したくなくなってしまう。だいたい、異論を唱えるというのが研究員たちの特色です。それがいえなくなったら、意味がない。本田をある特定の分野でデモ超えてゆかなかったらホンダの発展はありません。 
そうなってこそ初めて企業は安泰になっていく。時代とともに進んで行くんですあの人の出すチエがいつもみんなよりすぐれていた日には、ほかの連中が困ってしまいますよ。働いている意義が小さくなる。P.136

そして「本田宗一郎頼り」ではない「健全な会社」を目指していたことも伺える一節にも注目したい。Ed Catmull 著の Creativity, Inc. にも同様にあるのが「目指すのは、創業者が去った後でも発展し続ける健全な会社」。


藤沢の見誤りは日本の見誤り

本書が書かれた当時は、次の藤沢の意見に同意したかもしれないが...:

アメリカの企業は戦後五年くらいたったときに、さっそくコンピューターを導入したのだろうと思います。すばらしい財産だと思って、それを判断の基準にしたところに失敗の原因があるんじゃないでしょうか。たしかに月に行ったりする技術は、アメリカでは進んでいるし、それはコンピューターのおかげでしょうけれども、それ以外についても同じように考えているところに、アメリカの問題があると思っています。人間の頭脳尊重が欠けているということになる場合もあるのではないでしょうか。 
私のこういう意見は、本田技研という会社に入らなかったら出てこなかった。私は本田宗一郎「かぶれ」しているのです。彼からそういう意見を聞いたわけじゃありません。けれども、いまの考えがまちがっていたら、本田のせいにしてください。P.217
その後のデジタル技術の発展と利用からは、この藤沢の考えに賛同することはできない。

私は、インターネットの商用利用の黎明期から今の仕事をしているが、日本企業のデジタル分野への遅れは見ていて歯痒かった。その時期にアメリカ西海岸で仕事した際、日本との違いを目の当たりにした衝撃は今でも忘れない。

荒っぽく言えば、「本田宗一郎に代表される日本の職人気質」が、日本の「ものづくり」のデジタル化への対応を遅らせた、大きな要因の一つと思っている。そんな「職人気質」が好きな私だが、2022年の現在においても「悪い慣習」として残ってしまっている。それは、機械学習の提案を企業にする度に感じる(数週間前の大手製造業との打合せ時にも話題になった)。


藤沢武夫と Steve Jobs

そんな見誤りはあったとしても、藤沢武夫、そしてホンダという企業の誕生と発展には学ぶことが多い。
それまで私は従業員に、ホンダはいまに世界的なメーカーになるのだ、といってきたのですが、いきなり不景気になって、話が逆になってものですから、従業員の気持ちがシュンとなってしまった。なんだ、藤沢のいったことはホラだったのか、というわけです。
(略)
そこで私が思いついたのは、モーターサイクルのオリンピックといわれているマン島のレースです。本田はかねてから世界一にチャレンジしたいという夢を抱いていましたから、その夢をみんなの目標にしたらどうだろうか。本田に、マン島のレースに出る意思があるかどうか尋ねてみると、ぜひやりたいという。男と生まれたからには、イギリスのマン島で勝負したいと。「それなら、おれも一筆書く」といって、私が本田社長名で書いたのが、 
「マン島T・Tレース出場宣言」 
です。心をこめて、念入りに書きました。P.42

「マン島レース出場」は有名すぎて知っていたが、藤沢武夫が言い出したとは知らなかった。今の日本で、このような宣言をして実行する企業があるだろうか。このようにホンダを鼓舞していたのが本田宗一郎ではなく、かつ技術者でない藤沢と知り、思わず藤沢武夫と Steve Jobs が重なってしまった。

とはいえ、藤沢武夫と Steve Jobs の違いも多い、それは当たり前のこと。しかし、彼らが進む「シンプルな太い一筋の道」は同じに見える。そこに「すごい経営者の共通点」があるのかもしれない。

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