男性誌探訪 著者:斎藤美奈子 発行:2003年12月30日初版 |
斎藤美奈子の本は、去年の12月に読んだ「文壇アイドル論」以来で半年以上ぶり。とはいえ、本書は数ヶ月前に一度手にしたが、何となく楽しめる気分ではなく、読まずにいた。
とはいえ
雑誌で読みとく 日本男児の麗しき生態
には、その時から「わはは(笑)」となって、本書には興味があった。
もちろん興味があったのは、雑誌にではなく、著者の「探訪」(社会の出来事や実態をその現場に行ってさぐり歩くこと)。そもそも男性誌に限らず、私は雑誌に全く興味がないのだ。その理由は、本書が代弁してくれている。
本書は著者の「あほらし屋の鐘が鳴る」所収の女性誌評の続編のつもりだったそうだ(本書「編集後記」P.338)。そこにも記されてるように
「男性誌」というジャンルなど本当は存在しないのだとさえ言える。P.338
「女性誌」と呼ばれる雑誌は割と特定できそうだが、本書はそれ以外の雑誌を「男性誌」と見なしている。なので「日本男児の麗しき生態」を垣間見れる雑誌もあれば、「男に限らない」雑誌もある。とはいえ、歴史的に「男に向けて男が書いた」が多いのは事実(2003年当時までは、だけどね)。
では、著者「斎藤美奈子」も雑誌に興味がないのかといえば、そうではないと思う。興味がないと、ここまでの「探訪」はできないと思う(もしかして「興味はないが、著者の筆力で書いた」のかもしれないが...)。
次も「編集後記」から:
男性誌に限らず、雑誌というのは一種のサークルみたいなところがあって、常連の読者からすると美点も欠点も知り尽くした窮地の間柄、あうんの呼吸だけでわかりあえる空間である。そこへ部外者が突然ズカズカ踏みこんできて、わかったような口をききくさったら、だれだっておもしろくなかろう。当たっていればまだよいが、的はずれな批評などされた日には、たまったもんじゃない。事実、連載中には「おまえなんかに何がわかる」式の熱い投書が読者から舞いこんだりもしたのだが、雑誌編集部からの表だった抗議はふしぎとなかった(逆におもしろがってくれる人までいた)。憶測や誤解にもとづく非礼な記述も多々あっただろうに、この場を借りて、みなさまの温情に篤く感謝したい。P.340
「逆におもしろがってくれる人がいる」ところが著者の魅力。部外者「斎藤美奈子」が「ズカズカ踏みこむ」、その「踏みこみ方」が毎度楽しいのだ。ノンフィクションは英文で読むことが多い昨今。斎藤美奈子が、私が読む数少ない「日本人」ノンフィクション?作家の一人なのは、彼女の日本語表現が好きだからに他ならない。そして「踏みこみ方」「批評の仕方」が楽しいから。
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