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ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。
著者:辻村深月 発行:2012年7月31日第6刷(単行本:2009年9月) |
日本人が書いた日本語の小説であれば、著者が男性か女性の判断は確実にできるだろう。ただ、「判断できる理由」は明確に言えない。言い回しや、表現の仕方などを具体的に指摘できないのだ。言うなれば「男どもが描けない女性の心理描写や行動」から、「あ、これは女性が書いたな」と直感的に判断していると思う。しかし、英文だと全く区別はつかない。そもそも区別できるものかも不明だ。
本著者の作品を読むのは初めてだったが、著者名から女性と分かるものの、数ページ読んで「女性だな」となった。そして、久しぶりに新しいお気に入り作家に出会えた予感を抱いた。その思いは、読み終えるまで続いた。
つまり、かなり面白い作品。
ここではネタバレはしたくないので、物語には大きく関係しない点を取り上げる。
(略)私はその頃、会ったこともない彼女の友達からの相談を、政美経由でたくさん持ち込まれた。結婚式でのスピーチや、仕事出張の報告書の代筆。私は一切引き受けなかった。(略)自分の文章が書けない。自分の言葉が発言できない。そういう子たちの集まりだった。P.137
この「集まり」とは、主人公が実家山梨で過ごした頃に参加した「合コン」(先日、山梨ツーリングに行ったばかり、完全に偶然だ)。
合コンをする人らの多くが「自分の言葉が発言できない」とは一概には言えないが、そういう人は、一般的に多いは事実(参照:大人の小論文教室。)。仕事で如実に感じるのは、客先などへのプレゼンテーションの時。先日も、とある大手餃子チェーンの本社で、他社やったプレゼンはプレゼンというより(ダラダラとした)「商品の説明」。顧客の要望が不明な状況は気の毒だったが、それでも「自分の言葉」に到底感じられないプレゼンだった(もしかして、プレゼンとは「一般的な」商品説明なのか?違うよな?)。
誰がリーダーか、相手が何を言えば喜ぶのかを、女なら誰でも本能で読む。「私、〜な人だから」という、強い自己主張の言い回し。自分の個性を仲間内で人に踏み込ませまい、かぶらせまいとする予防線。私たちは互いを褒め合ってばかりいた。「かわいい」、「かわいい」。お互いの男や好きな人を「かっこいい」「優しそう」と言い合い、自分がフラれた男や、この場とかかわりのない第三者の気に食わない友人のことは「ひどい」と一斉に袋叩きに悪く言った。P.122
「空気を読め」が嫌いな私だが、先日「空気を読め」的なことを言う奴が、全く「空気を読めてない」ことに気づいた。結局のところ「当たり障りのない関係や状況」を保つための言葉にしか過ぎず、そんな関係や状況は「毒にも薬にもならない」ので、面白くも何ともない。
「褒め合ってばかりの関係」もどうなんだろうね?それも「当たり障りのない関係」なのだろう。進歩や変化を求めなければ、そんな関係は良好なのだろうな。
好きな女性作家が少ないので(斎藤美奈子は作家というより書評家と思ってる)、今回の発見を嬉しく思う。とはいえ、あと数冊は読まないと断定できないので、早速次に読む作品を物色中。
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