2022年11月12日土曜日

<私家版>青春デンデケデケデケ

<私家版>青春デンデケデケデケ

著者:芦原すなお
発行:1995年4月1日初版

観てはいないが、本作の映画版のことは知っていた。「原作もあるんだろうなぁ」とは想像したが、読まなかった理由は後述する。本書を手に取った直接の理由は「文学的商品学」を読んでから。

村上龍の「69」を彷彿する作品で、面白さは同等かそれ以上。音楽だけに注目すると、圧倒的に本作品が面白い。次の Wikipedia にあるように、本「私家版」は最初に出版されたものより超長い(私の調べだと、約二倍の200頁増)。比較的描写が細かく、且つ方言の「標準語補足」もあってか、軽い内容にもかかわらず読了には時間を要した。

本作は当初原稿用紙約800枚の分量であった。一読した編集者が文藝賞への応募を薦めたが、応募規定は原稿用紙400枚以内であったため、それに合わせて修正が施された。これが最初の発表形で、文藝賞・直木賞を受賞し、映画のベースになったのはこのバージョンである。

一方、1995年になって最初のバージョンも出版されることになり、タイトルに「私家版」をつけて作品社から刊行され後に角川書店で文庫化された。ストーリーの大筋に違いはないが、エピソードが増えて各キャラクターの描写がより細かくなっているのが特徴である。こちらにしか登場しない人物もいる。Wikipedia


そんな長さも気にならない本書だが、21世紀の今と比較して、特徴的なのは

 ・「純粋に」バンドが演りたい高校生
 ・舞台は田舎
 ・讃岐の方言
 ・金がない
 ・音楽のみならずあらゆる情報が乏しい時代

つまり、現代の高校生の物語では「描けない」要素が多い。今読むと「あの頃の方がワクワクしていたかもしれない」との「ノスタルジー」は否定できないが、「時代を越えて変わらないもの」があるのは事実。

例えば「音楽」。本作の時代(私は生まれてない)で、情報が乏しい中、洋楽の主に「ロックミュージック」に魅了されてバンドを始める高校生は稀有。それでも魅了される奴らはいる。そんな奴らは、流行りではなく「自分で発見して魅了される」。

私がそうだったからだ。楽器を本格的に始めた頃には、自分の好きな音楽への「道」は見えていた。流行なんて気にしなかったし、逆に、本書の主人公のようにバンドリーダー的な立場で、他のメンバーに「良い楽曲」を紹介していた。

あまりに面白すぎて引用したい箇所は多い本書だが、三つに止める。一節が長文だが、本作の雰囲気を壊さないために、省略せずに引用した。先日書いた「私の音楽史」と被る点もあるが、感想を綴った。


ジャンジャカ、ジャンジャカ

本書を読まなかった理由とは、本書のタイトルから「ベンチャーズ・バンド」と誤解したから。ベンチャーズは私の好みではないのです。
そんなわけでぼくらは、やがては是非歌「もん」をやろうと考えていた。ただ楽器を扱うのに四苦八苦しているうちは到底無理なので、はじめのうちはインスト「もん」をいっぱいやって、早く楽器に慣れよう、ということにしていたのだった。だが、これはベンチャーズを単なる練習台にしたということではない。ベンチャーズもぼくらは大好きだったから、ちょうど具合がよかった、てなもんである。だからベンチャーズの演奏をコピーすることは、あくまでもそれ自体が目的である、と同時に、「結果的に」、次なる目的を達成するための手段にもなった、ということなのだ。そして、実際、ベンチャーズをたっぷりやったことは、バンドにとってとてもいいことだった。ロッキング・ホースメンは、実に正確に、そして几帳面に演奏するロック・グループになったからである。もしぼくらが、適当にコードを覚えただけでジャンジャカ、ジャンジャカと伴奏しながら歌を歌っていたとしたら、そうはなってなかっただろうと思う。P.137
まさに「ジャンジャカ、ジャンジャカ」と初めてしまったのが「私」で、この指摘は正しい。最初に憧れたギタリストの Jeff BeckKeith Richards が(初心者には)特殊すぎて「再現(コピー)不能」と早々に諦めて、「最初はコードからばい!(長崎弁)」と必死こいて(意味を考えずに)コード譜通りに弾き語っていただけ。楽しかったが、大してギターが上手くなったとは言えない。

ただ、運が良かったというべきか、本格的にバンドを始めたのは大学生の軽音楽部で、先輩の演奏が「ジャンジャカ」系ではなく、おまけに「バンド楽譜」なる便利?な書籍も多様にある時代で、「ジャンジャカ」バンドはむしろ見当たらなかった(後年、そんな「ジャンジャカ」系が流行る時代も再来)。なので早々に、ギターリフやソロ演奏に没頭するようなった(音楽理論や楽曲分析はしなかったが...)。


カントリーの位置付け

著者が「音楽に詳しいなぁ、俺と好みが似てるなぁ」と思う箇所は多い、以下はその一例:
と言うのは、ぼくの考えでは、ロックとカントリーは切っても切り離せない至極縁の深いジャンルだからで、そのことは、初期の偉大なロッカーたち、たとえばビル・ヘイリー、エルビス・プレスリー、カール・パーキンス、ジェリー・リー・ルイス、ワンダ・ジャクソン等がそろってカントリー畑の作物だった、ということ一つをとっても首肯し得ることと思う。彼ら以外にも、カントリー・ミュージックを自分の音楽活動の土台にしているロック・アーチストは、それこそ枚挙にいとまがない。乱暴な言い方をすれば、ロックは、ブルースとカントリーの間に生まれたやんちゃ坊主なのである。(どちらがお父(とう)でどちらがお母(かあ)か、なんてことは知らない。) 
したがって、ロックの道を追求する若い音楽家が、ブルースのみならず、カントリーをも学ぶのは大いに意義のあることに違いあるまい。ところが我が国のロック青年たちは、昔も今も、ブルースには興味を抱いたり、さらには尊崇の念さえ抱くのに、どうもカントリーには冷淡である。ぼくはこれを実に不思議なことと思い、まことに残念なことと思う。P.146

「カントリーに冷淡」な理由は、私の考えだが、カントリーは演奏者の見た目も楽曲も「カッコよくない」からだろう。「カウボーイハットのカッコ良さ」は日本人の一部でしか受けない(特に若者には受けない)と想像する。ブルースは、その「ラフさ」や「ディープさ」が、見た目も含めて、ロックミュージックに直結する印象を、多くの日本人が持っていることだろう。

私も最初はそうだった。仕事でアメリカ西海岸で滞在したホテルで、ケーブルテレビの(エアロビクスのチャネル数に匹敵するほど)多くのがカントリー音楽のチャンネルであった。当時は「日本の演歌やな!」と眉をひそめてチェンネルを変えていたが、今では考え方が違う。著者並みではないが、カントリー音楽の重要性を十分理解している。


カッコ良さとジャンルは無関係

最近、楽器演奏や楽曲分析にどっぷりハマってるためか、本書の多くは今の私の「ど真ん中」に刺さった。まだまだ書きたいことはあるが、これで終わる。

著者の音楽の解釈は一種独特のものがあるが、それでも納得してしまう「事実」がある:
太平トリオはギターの男に、三味線の女が二人の三人組だ。その女の一人が、「おけいちゃーん」と呼ばれて「あいよー」と絶妙のタイミングで返事して、長いしゃくれ顎をふりたて、舞台を面白おかしい格好で歩き回る。(数年後、ローリング・ストーンズの《Rocks Off》という曲のイントロの「イェー」というかけ声を聞いたとき、このおけいちゃんの「あいよ!」のタイミングを思い出したのである。)P.345

この引用を書いた直後、偶然にも podcast NPR All Songs Considered の一曲目が "Rock Off" であり、DJらが思い思いにこの楽曲を語るのを聴いた。好きな曲だが、この「イェー」で著者のように何かを連想することはなかった。

とはいえ、考えてみると、著者の音楽の解釈は正しいのかもしれない。ロックミュージックのカッコ良さの要素は、ブルーズやカントリーだけじゃなく、演歌であれ民謡であれ、多くの楽曲に潜んでいる可能性は十分ある。いや、潜んでいない方が無理がある。単にジャンル分けされてるだけで、良い音楽やフレーズに「ジャンルは無関係」なのだ。

本書は単純に「青春物語」としても優秀だが、音楽の部分だけを取り上げても十分に楽しい。これまで音楽を題材にした小説を読んでなかったが、これを機会に探してみることにする。

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