2022年11月2日水曜日

脳は奇跡を起こす:The Brain That Changes Itself

脳は奇跡を起こす:The Brain That Changes Itself
Stories of Personal Triumph from the Frontiers of Brain Science

著者:ノーマン・ドイジ Norman Doidge
翻訳:竹伯仁子(たけさこひとこ)
発行:2008年2月9日初版

本書で頻繁に登場する「可塑性(かそせい)」の意味を知るためと、本書の全容を垣間見るために以下を引用:
人がさまざまな活動をするとき、脳はその構造を変化させ、回路を完璧に整えて、従事している作業に適したものにすることがわかった。もし、ある「部分」がダメ    になっても、ほかの部分が、その仕事を引きつぐことがある。脳を、それぞれ決まった役目をもつ部品の集合体として機械に喩えてしまうと、こうした脳の変化をじゅうぶんに説明できない。この脳の基本的な性質は「神経可塑性 (neuroplasticity)」と呼ばれるようになった。 
「神経 (neuron)」とはニューロンを意味する。脳と神経系の神経細胞だ。「可塑的 (plastic)」とは「変化できる、柔軟な、修正できる」という意味だ。当初は、論文に「神経可塑性」という語を使う研究者はいなかった。奇抜さを売りにしていると誤解されかねなかったからだ。それでも、彼らは粘りづよく研究を続け、脳は変化しないという学説をくつがえしていった。P.7

私は脳の専門家ではない。ただ、大学生の頃の卒業論文が「ニューラルネットワーク」に関するものだったので、当時は(表面上だが)一通り読んだ(今ではほとんど忘れてしまったが)。そして何の因果か、現在「ニューラルネットワーク」を背景にした「機械学習」を使ったシステム開発が私の仕事だ。

私が「人工知能」という用語を使いたくないのは、「人工知能」=「人工の脳」=「人工人間」との誤解を生むからだ。ニューラルネットワークは人の脳を参考にしたかもしれないが、「脳そのもの」では決してないのだ。

そもそも「人の脳」については解明されいないことの方が多いと思っている。先ほど引用から私が強調した箇所:
脳を、それぞれ決まった役目をもつ部品の集合体として機械に喩えてしまうと、こうした脳の変化をじゅうぶんに説明できない。
脳は変化しないという学説をくつがえしていった
脳を機械に喩えてしまっている人もいる、脳は変化しないと未だに信じている人もいるだろう。脳に関してくつがえされた学説があったことを知らない人も多いだろう。

まぁ、私の仕事上の最大の障害は「人工知能で何でもできてしまう」と過信してる人たち。以前よりは減ってはきたが、未だに根強く残っている、しかも会社の上層部に多い(泣)


「生まれつきの才能」がナンボのもんじゃい!

「生まれつきの才能」で物事を判断する/されるのが嫌いだ。

長年やり続けている「英語」や「楽器演奏」だが、「私には才能がある」と思って、これらに取組んだことは一度もない。むしろ「才能がない」という前提で取組んでいる。そんな私には本書の「神経可塑性」について腑に落ちることが多い。

例えば楽器演奏で「マッスルメモリー (muscle memory)」と呼ばれるもは、筋肉が記憶するのではなく、脳機能によるもの。「何にも考えずに演奏できる」から「考えずに(筋肉だけで)演奏」と誤解されがちだが、そんなことはない。

私の場合のマッスルメモリーは「(覚えるのは早いが)忘れるのが早い」ことをようやく確信した。それを補完するのが「楽曲分析」とようやく気づいた。分析することで「脳」への定着を促し、音楽への理解が深まると気づいた。

可塑性がもつ「競争する性質」は、すべての人に影響をおよぼしている。わたしたちの脳内では、神経同士の競争が際限なく続いている。もし知的能力を鍛えることをやめてしまったら、その能力を忘れるだけではない。それをつかさどる脳マップの領域は、わたしたちが鍛えているほかの能力に奪われてしまうのだ。だれしも、こんなふうに自問したことがあるだろう。「フランス語、ギター、計算をうまくやるためには、どのくらい頻繁に練習すればいいのだろう?」。この場合、可塑性の競争が問題になっている。ある行為の脳マップ(領域)を他に奪われないためには、どのくらいその行為を練習すべきなのか。突きつめればそういうことだ。P.85

「競争する性質」とは以下の引用から想像してもらいたい:
この実験によって、正中(せいちゅう)神経が切断されたら、電気刺激をあふれんばかりにもっているほかの神経が、使用されていないマップのスペースを引きついで、そのインプットを処理することが明確になった。脳の処理能力を割りふるときには、その貴重な資源をめぐって競争が起こり、「使わなければ失う」という原則にのっとって、脳マップは変化するのである。P.84

「使わなければ失う」、つまり「練習しなきゃギターは上手く弾けない」てことです。


ヒトの可塑性
いまではウィーゼルは、成人にも可塑性があることを認め、自分は長いことまちがっていたし、マーゼニックの草分け的な実験のおかげで、自分も同僚の研究者たちも信条を変えるにいたったと、潔く認めている。ウィーゼルほどの研究者が意見を変えたことで、それまで局在論に固執していた研究者も考えを改めた。 
「もっとも不満だったのは」とマーゼニックは言う。「神経可塑性は、医学の治療にいろいろな可能性をもっていたのに、つまり、神経病理学とか精神医学の解釈が変わる可能性も秘めていたのに、だれも注意を払わなかったことだ」。P.88

学者や研究者を責める気はないが、研究の遅れというか「誤解」や「無関心」で、治せた病気や、克服できた障害があったことを思うと辛くなる。

仕事やビジネス上でも「病気」と(私が)判断できることは多い。5年後ぐらいに振り返って「何んであんなことしていたのだろう」と後悔するであろうことを平気でやってる(あ!「振り返って後悔しない」人だからなのか?笑)。

「人は自分が見たいようにしか物事を見ない」のは、病気じゃなくて「人間の性」と決めつける(諦める)のは、「ヒトの可塑性」を信じていないからだろうか?(笑)

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