2023年5月15日月曜日

Fermat's Last Theorem と BBC Horizon, 1995-1996, Fermat's Last Theorem

Fermat's Last Theorem

著者:Simon Singh
発行:Paperback Edition in 2002 (First published in 1997)
Amazon.co.jp の購入履歴によれば、この「ペーパーバック版」を中古購入したのは 2019年1月のこと。長いこと目につく職場の机に放置していたためか、翻訳版を読んだ 2014年8月 の記憶が鮮明のためか、この原書を読んだ気になっていた。

余談だが、二週間ほど、本書と Chuck Palahniuk 著 "Fight Club"映画で有名なあの "Fight Club" の原作)を並行で読んでいた。つまり、ノンフィクションとフィクションを交互に、原書の英語で読んでいた。圧倒的に文章量の多い本書だが、理解できて読みやすのは本書だった。"Fight Club" も「読める」のだが、文章表現が独特で、楽しむためにはもう少し英語の読解力が必要。こうして、一旦 "Fight Club" を読むのは中断した。この出来事は、長年感じている「外国語学習のための読書ならば、ノンフィクションの方が良い」を裏付ける結果となった。

実は本書はひと月前に読み終えていたが、本投稿は "BBC Horizon, 1995-1996, Fermat's Last Theorem" を観るまでは控えていた。本書の「土台」となっているのが、このドキュメンタリー番組で、本文中の数学者のコメントなども登場する。ここではこの本の直接の感想というより、本番組の感想で表したい(本の感想は、翻訳版の頃と大きく違わないこともある)。
「動いている」「話してる」Andrew Wiles を観るのはこれが初めて。彼以外にも、本書で知った多くの数学者が登場するが、彼らに共通するのは「説明が明確」であること。番組のため、難解な説明が排除されていたとしても、彼らの話ぶりから「その明確さ」を察することができる。

番組監督は本著者である Simon Singh、そしてこの肖像画の人が Pierre de Fermat「ピエール・ド・フェルマー」:
次は本書から(要約 by りんだ):
Instead he devoted all his spare energy to mathematics and, when not sentencing priests to be burnt at the stake, Fermat dedicated himself to his hobby. Fermat was a true amateur academic, a man whom E.T. Bell called the ‘Prince of Amateurs’. 
フェルマーは「真の素人研究者」で、E.T. Bell が呼ぶ「素人の中の王子」。
フェルマーにとって数学は「趣味」だった。

歴史に「もしも」と仮定しても無駄だが、もしフェルマーが「正式」な数学者だったら、「フェルマーの最終定理」として存在したかは疑問だ。つまり、正式な数学者だったら
俺は知ってるけどな、それを書く余白がないから書けないのよ
的なことが容認されるとは思わないから。

次は原文のラテン語と、本書の英文、そして私の日本語訳:
Cuius rei demonstrationem mirabilem sane detexi hanc marginis exiguitas non caperet.

I have a truly marvellous demonstration of this proposition which this margin is too narrow to contain.

この定理について、私は真に驚くような証明を知っているが、この余白はそれを書くには狭すぎる。
Wiles 氏の研究風景...。コンピュータを使わない Wiles だが、ここまで「とっ散らかった」状況で研究できるのが凄い...:
氏にとっては「とっ散らかって」いなくて、むしろ研究には都合の良いのかもしれない。「見た目と、頭の中」の状況が同じとは限らないのだ。

手書きだしなぁ...!!
番組で登場する数学者は魅力的な人ばかりだが、特に印象に残ったのが Ken Ribet
本書に登場する数学者を国籍別で分ければ「日本人が一番多いかも?」となるほど日本人が多い。谷山志村予想Taniyama–Shimura conjecture)とフェルマーの最終定理 の「繋がり」を、Wiles が板書したのが次:
そして「岩澤理論Iwasawa theory):
谷山志村予想」の「谷山豊」の最期(そして彼の妻)は悲しい、「天才ゆえの...」と片付けるには残念すぎる最期:
そして志村五郎
当時と比較して、現在の日本人数学者の活躍はどうなのだろうか、の疑問はあるが、比較の仕方が分からないので、考えないようにする。ただ歴史的に、日本人は(文化的?国民性的?に)数学のセンスは高いように思える。ま、これも曖昧な印象ですがね。

数学や数学者の歴史や物語は、もっと語られて良いと思う。「フェルマーの最終定理」ほど面白い素材は稀だろうが、興味深い「テーマ」であることは間違いない。同時に、自分の「能力」を問われているような側面もあるが、自分なりに追い求めていきたい「テーマ」であるのが「数学」だ。

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