2023年9月15日金曜日

細野晴臣と彼らの時代

細野晴臣と彼らの時代

著者:門間雄介
発行:2021年1月10日第二刷(初版2020年12月20日)

細野さんと私

初めて買った LPレコードは YMO (Yellow Magic Orchestra) SOLID STATE SURVIVOR と思っている。明らかなのは「二人の兄のどちらかに買わされた」こと。YMO のことも兄から教わって知っていたが、アルバムを聴き込んだ記憶はない。楽しんだ曲は「テクノポリス」「ライディーン」で、特にシングル盤もあった「ライディーン」は今でも聴いた記憶は鮮明だ。

そんな感じの私だったので、当然、細野さんの存在は意識しなかった。その後、歌謡曲の作曲者に「細野晴臣」の名前を見かけて「あ、YMO の人だ」ぐらいの認識。

それから時を経て、1993年6月11日の YMO「再生ライヴ」を東京ドームに行った。すでにロックバンドを自分でもやっていたので、YMO の「生演奏」は特に期待していなかった、当時一緒に東京にいた兄から誘われたのだと思う。

予想に反してライヴは良かった、「YMO ってアナログバンドじゃん!!」と驚いた。なんといっても細野さんのベースが良いのだ。あのベースでなければ、楽曲は全く違ったものに聴こえることだろう。

その後も、細野さんの楽曲を聴くことはなかった。聴くのは「ほぼ洋楽」。一つの例外が「風街ろまん」、「はっぴいえんど」の二枚目のアルバムだ。「初めて日本語で歌われたロック」みたいな紹介をされていて、その紹介のされ方「だけ」に惹かれて買った。しかし私の耳には「ロック」には聴こえなかった。

こんな風に決して細野さんの作品のファンとは言えないが、ラジオや雑誌での会話、今では YouTube 等で聴くことができる「生の声」から、彼の音楽の嗜好や、音楽に対する姿勢に共感するところが多い(アンビエントを演った頃は無視した)。

メディアムな細野さん

「細野さんと私」はこんな感じなので、読む前は「それほど面白くないだろう、途中でやめるだろうな」と思っていた。ところが、冒頭から引き込まれた。自分の好みではなく、それほど聞いてこなかった細野さんの音楽だが、「何となく知ってる」ことに驚いた。さらに、登場するミュージシャンの名前のほとんどを知っていて、当時の音楽シーンが容易に想像できた。

本書が「評伝」ということでは、先日読んだ『原節子の真実』と同じだが、原節子と違い、細野さん自身の過去の発言が多く、さらには本書向けに発せられた言葉もある。「評伝」だが「事実」としてすんなりと受け入れられた。

私は、日本の音楽シーンに興味があるわけではない。特に1990年代以降は「嫌悪感」さえ抱く音楽も多い。それでも細野さんが関わった音楽は「妙に知ってる」のだ。現代の日本のポピュラーミュージックが、第二次大戦から誕生したとすれば、間違いなくその中心に細野さんがいた。

そして細野さんの時代の優れたミュージシャンたちに共通するのは、海外の音楽をたくさん聴いて研究してること。世界的にも、ある意味では、現在のポピュラーミュージックの黎明期でもあったのだ。「新しい音楽」が次々に誕生した時代であった。

次の細野さんの発言、似たようなことを坂本龍一も発していた:
あるときから細野は、彼ら若いミュージシャンたちに自分が過去から受け継いできたものを伝えることが大事だと思うようになった。先人から受け継いだものに、少し手を加え、それらを彼らに手渡すことが。その思いはかれこれ30年以上前に意識しだした、自分はミディアムに過ぎないという感覚とつながっていた。細野は説明する。
「スタイルがあって、伝統があって、ある枠の中で切磋琢磨していく。特に音楽なんかはそうですね。基本は伝統を受け継いでいくことが大事です。でもそれだけではなんの意味もない。そこに自分の筆跡を少し残す。まあ、サインをするみたいなね、自分の。それが大事だとだんだんわかってきたんです。自分なりに昔の音楽を消化して、変えていって、残していく。そうやって残していくことが大事なんだと」P. 478

私はこの一年以上、弾く楽曲は Blues だけ、中には100年近く前に作られた曲もある。細野さんのように「伝統を受け継ぐ」ほどの高い意識はないが、「古くても良い音楽は残していきたい、そこに自分のアイデアを加えられたら幸せだ」ぐらいは願いながら弾いている。

シンプルさ

音楽の話題は尽きることがないので、この辺で終わるが、最後に余談:
1993年は国連が定めた「世界の先住民の国際年」だった。世界各地の先住民族にあらためて目が向けられるなか、細野はアメリカ先住民族の秘術を伝承するメディスンマンとのやりとりを綴ったノンフィクション『ローリング・サンダー メディスン・パワーの探求』を手にとり、それを読んだ。
(略)
しかもその言葉はシンプルだった。ネイティブ・アメリカンの言葉が表す世界はきわめてシンプルで、そこにはわかりにくいことなどなにひとつなかった。そんな単純なことになぜこれまで気づかなかったのかと、細野はむしろ不思議に感じた。 P.388

私は細野さんほど「神秘主義者?」ではないが、この本には興味をもった。ブログ投稿してないが、半年以上前に読んだ「呼吸に関する本」も、書かれていることは非常にシンプルで、大昔(産業革命のずっと以前)からの「常識」であった。その常識が現代では「非常識」になっていることに驚いた。

「シンプルさ」は細野さん「らしい」気がする。そのシンプルさがあるから、多彩な音楽の「ミディアム」になり得ると思う。

PS
本書を読んで、あたらめて YMO 聴いた。初めて聴くアルバムが多いが、今更、その良さに気づく。「風街ろまん」も聴いてみたが、やっぱり好きでない。ただし、細野さんのベースが「目立って良い」と改めて気付いた。

そういえば、私が、ミュージシャンに限らず、好きなアーティストを「さん付け」するのは「細野さん」だけ。無意識で呼び捨てにはできないのが「細野さん」なのだ。不思議だ(笑)

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