絶望を希望に変える経済学 原書:Good Economics for Hard Times 著者:アジビット・V・バナジー Abijit V. Banerjee、エステル・デュフロ Esther Dufulo 訳:村井章子 発行:2020年8月7日第四刷(初版2020年4月17日) |
「翻訳者が村井章子」の本を探して見つけたのが本書。絶賛の日本語訳:村井章子 の投稿のように、彼女の翻訳は素晴らしい。そして、たまたま現在、原書の Thinking, Fast and Slow を読みながら、改めて ファスト&スロー の翻訳が見事なのを痛感。翻訳の不自然さは微塵も感じないのは当たり前として、「読書に熱中させる文章」と絶賛したいほどに旨い。
なので、経済学が話題の中心の本にもかかわらず、かなり「味わって読んだ」。ページ数はそれほど多くない本書だが、「ページぎっしり」の日本語は、非常に読みがいがあり、時間をかけてじっくり読んだ。
「見直した」経済学(者)
10年ほど前までは、経済学に関する本を読み漁った。例えば、マクロ経済学入門 、はじめての経済学(上)。しかし、数学(主に統計学)、データ分野や機械学習に没頭すると、経済学への興味が次第に薄れていった(経済学は科学か? )。経済学は興味深い "thought experiment"「思考実験」だとは思うが「科学なのか?」は長年の疑問だ。
behavioral economics「行動経済学」の誕生には興味がある(実施、数冊の本を買った)が、経済学、とりわけ「経済学者」の発言には依然として惹かれなくなっていた。
本書はそんな私の考えを変えるきっかけとなった。序文の最初の一節からして「お、面白そうかも!」なのだが、ここでは「最後の節」を引用:
行動の呼びかけは、経済学者だけがすべきものではない。人間らしく生きられるよりよい世界を願う私たち誰もが声を上げなければならない。経済学は、経済学者にまかせておくには重要すぎるのである。P.467
「経済学者だけに任せられない」のは当たり前だが、意外と「思考停止」になって「経済学者任せ」になっていないだろうか?
最良の経済学は多くの場合に非常に控えめだと私たちは感じている。世界はすでに複雑で不確実すぎる。そうした世界で経済学者が共有できる最も価値あるものは、往々にして結論ではなく、そこにいたるまでの道のりだ。知り得た事実、その事実を解釈した方法、推論の各段階、なお残る不確実性の要因などを共有することが望ましい。このことは、物理学者が科学者であるのと同じ意味では経済学者が科学者ではないこと、よって経済学には絶対確実と言えるものがほとんどないことと関係がある。P.017
耳を塞ぎたくなる経済学者や政治家の発言が多い中、ここまで明確に言ってくれると、その主張に耳を傾けたくなる。
にもかかわらず財務省の覚書では、減税による経済成長率は年 0.7 %押し上げられるとしている(裏付けデータは示されていない)。なぜ彼らは、専門家がまじめに信じていないようなことを表明してただで済まされるのか。もちろん、それがトランプ政権のやり方なのさ、と片付けるのは簡単である。だが富裕層への減税が経済成長を導くと言われて世の人がすぐに信じてしまうのは、一時代前の高名な経済学者たちがそういうことを言い続けたせいではないだろうか。当時は統計も未整備だったから、データなしに直観に基づいて発言することがあたりまえのように行われていた。著名な経済学者が何世代にもわたって呪文のように同じことを主張すれば、まるで子守唄のように耳になじんでしまう。いや一昔前だけではない。今日でもデータに依拠する必要性をとんと信じない評論家や自称専門家が同じようなことをメディアで発言している。P.257
データ分析を仕事にしているだけでなく、「事実に一歩でも近づきたい」のが私なので、「裏付けデータがない主張」の多さを感じる。思うに、「事実なんてどうでもよくて、自分の主義主張に合う主張を支持する」が大方の行動なら、「過去や歴史から学ばない」行動も理解できる。「人間は合理的に行動するわけではない」という行動経済学の主張とも一致する。
「人間らしく生きられるよりよい世界を願う」には、「豊かな想像力」も大切だ。
アメリカで製造業の雇用を守ることと、フランスで自然を守ることの間に類似性があると言ったら、奇妙に聞こえるだろうか。だが美しい田舎の風景は観光客を惹きつけ、若者を土地につなぎ止め、幸せな老後を実現する。同様に、栄える企業城下町には高校が建設され、スポーツチームが結成され、メインストリートには店が並び、人々には帰属意識が生まれる。これもまた、多くの人々が楽しむ環境の一つにほかならない。となれば社会は、森林を守るための資金を投じるのと同じように、その環境を守るための資金を投じてもよいのではないか。P.436
斎藤美奈子のたまには、時事ネタ から引用したように
歴史に敬意を払わない街づくりに、私は違和感バリバリだ。
これも「豊かな想像力」がなければ、感じることができない違和感だろう。「再開発」の名のもとに、何の想像力もなければ、どこもかしこも似たような「景色」になってしまうことだろう。「画一化」「均質化」に「豊かさ」を私は感じることができない。
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