2024年4月26日金曜日

(再読)アヒルと鴨のコインロッカー

前作:重力ピエロ、次作:チルドレン
 
アヒルと鴨のコインロッカー

著者:伊坂幸太郎
文庫2007年5月18日第7刷(初版:2006年12月22日、単行本:2003年)
映画も楽しんだ本作、物語を明確に覚えていたので楽しく再読できるか不明だったが、かなり良かった。結末や展開を知ってるので、当時は気づかなった「台詞の意味するところ」などを納得しながら読んだ、これも再読の良さなのだろう。そして、「上手いこと書くなぁ」と感心するばかり。

2016年に初めて読んで投稿したブログを読む前に再読したが、約8年後にも同じ箇所を引用して、少し驚いた:
「馬鹿にしてる、とかいうわけじゃないけど。面倒臭いだろ。日本人同士なら説明しなくても分かるような、暗黙の了解みたいなのがあるじゃないか。それを共有しない外国人とわざわざ話をするなんて、面倒臭い
引っかかるものを感じたけれど、どことなく納得できる意見のような気もした。
「ようするにさ」と佐藤は言った。「どんなに仲良くなっても、分かり合えない気がする
それは言えているかもしれない、と僕も思った。山田と佐藤の話に交じりながら、とにかく一人きりでいるよりはよっぽどマシだな、と思った。 P.111

「日本人の冷酷さ」を嘆いて引用した8年前だが、今回は少し違う。その「冷酷さ」が劇的に変わったとは思わないが、当時の私より多くの外国人と出会ったり、観光も含めて日本に滞在している外国人の様子から、「冷酷さ」の印象は弱まった。むしろその「冷酷さ」は、日本よりは、その他の外国の出来事で強く感じるようになった。8年の間で起こった(起こっている)世界の「冷酷さ」を具体的には示さないが、「面倒臭い」「分かり合えない気がする」は、様々な争いの根底にあるように思う。

椎名の母からの電話のシーンが良い、笑った。伊坂幸太郎が描く女性は魅力的(オモロい?)な人が多い。と思っていたら、次の一節に驚いた:

どうせなら喫茶店のほうが洒落ているのに、と思った。たぶん、祥子叔母さんが喫茶店を経営しているからだろう。響野という少々変わった旦那さんと、夫婦でやっている。P.249

初めて本書を読んだのは「フィッシュストーリー」に続く伊坂幸太郎の二作目で、出版順に読んではいなかった。なので気づかなかったのだが、この「祥子さん」は「陽気なギャングが地球を回す」に登場する、「少々変わった旦那さん」は勿論「あの響野」のこと。

もう読まないと決めた作家による、同じような「Bob Dylan を巡る会話」と比較しても、断然この「蕎麦屋の男性」との会話が好きだ、現実にもありそうだし(笑):
「あんたが今歌っての、ボブだろ」男は嬉しそうだった。
「ボブ・ディラン。聴くんですか?」ボブ・ディランを「ボブ」と呼ぶのは違和感があったが、可愛らしくもあった。
「うちのかみさんが若かった頃はねえ。それ、好きだったわけよ。って言っても、昔だな。ロングロングアゴー。長い顎ってな」
「曲名、分かりますか?」目の前の横断歩道を眺め、訊ねる。
「あー、あれだろ。『ライク・ア・ローリングストーン』」彼はためらう素振りも見せず、自信満々に答えてくれた。
違いますよ、「風に吹かれて」です、と訂正する気力もなく、「ええ、そうです」と返事をした。そんな感じです、だいたい正解です。と。P.84

この会話のためか、8年も経つと勘違いするのか、ロッカーに「閉じ込めた」のは「風に吹かれて」と思い込んでいた。

その理由は、好きな原作であるからじゃない。私が思う原作のメッセージが、ちゃんと網羅されていることに、好感を持ったからかもしれない。閉じ込めた「神様の歌」が "Like a Rolling Stone" でなかったのでさえ、許してしまう。

8年前はこう書いているのに...、「だいたい正解」だから良いのか?(笑)

0 件のコメント:

コメントを投稿