2024年7月16日火曜日

ノーツ コッポラの黙示録

ノーツ コッポラの黙示録

原題:NOTES - On the Making of "Apocalypse Now"
著者:Eleanor Coppola(エレノア・コッポラ)
翻訳:原田真人、福田みずほ
発行:1992年8月27日初版
このブログで、映画「地獄の黙示録」を2012年に観たことを投稿しているが、その後も観たと思う。それほど何度も観た作品の「記録」である Hearts of Darkness: A Filmmaker's Apocalypse(「ハート・オブ・ダークネス コッポラの黙示録」)は、ずっと気にはなっているが観ていない。おそらくその「文書版」と思われるのが本書、Francis Ford Coppola 妻の Eleanor Coppola の記した「ノート」(「日記」)。

フィリピンでの撮影に至る前の配役のトラブル、現地での撮影など「地獄の黙示録」の制作に関わる話は非常に興味深い。完成に至るまで多くの困難があったことは、断片ながら知っていた。とはいえ、本書に記されていない困難や苦悩は山ほどあったに違いない。

本書には二つの「軸」があると思う。「地獄の黙示録」の誕生までの経緯、そして妻から見た夫 Francis Ford Coppola への想い。

1976年8月31日、フレンチ・プランテーション・セット
わたしの思考が「現在」を漂っていないときは、「未来」をみつめている。フランシスは人一倍過去をだいじにする。過去を媒介として現在をみつめる。わたしたちはとても対照的だ。見れば見るほど、距離が離れている。何年もの間、わたしはその違いに対抗し、腹立ち、自分が正しくて彼が誤っているという判断に立っていた。いま、彼をあるがままに眺めると、お互いに対極にあるものに惹かれ合っていることにびっくりし、それを愉快とも思い、前よりずっと彼をいとおしく感じたりする。P.132

「フレンチ・プランテーション・セット」は、作品を観た方はピンとくるだろう。フィリピン現地の撮影セットでの日記。次は2年後の日記、「ナパ」は米国カリフォルニア州、夫妻の家:

1978年7月10日、ナパ
わたしが愛する男、わたしの夫、わたしの子供たちの父親、幻想の芸術家、家庭的な男、情熱的でやさしい愛人である一個の人間が、愛する者に嘘をつき、裏切り、残酷であることを受け入れるのに、今までかかった。P.292

2年を経ての変化が読み取れる。

本書は楽しんで読んだが、全体的に「読みにくい」と感じた。日記(散文?)のため日本語訳は難しいと思うが、本書の翻訳は良いと思えない。誤訳とは言えないかもしれないが、「この訳で良いのか?」となった箇所は少なくない。2008年の著書 Notes on a Life の方が、著者のことやコッポラ家のことは知れるかもしれない。日本語版は戸田奈津子訳「NOTES ON A LIFE -コッポラ・家族の素顔-」。本書の翻訳の良し悪しも、読み比べるとよりハッキリするかもしれない。

さて、これで Hearts of Darkness: A Filmmaker's Apocalypse(「ハート・オブ・ダークネス コッポラの黙示録」)を観る準備は整った。
参照

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