前作:それってどうなの主義、次作:文芸誤報
本の本 著者:斎藤美奈子 発行:2008年3月10日初版 |
730頁もある、こんな「厚み」の本は今まで読了したことはない(他の本を読みながら、二ヶ月ほどかけた)。しかも10年以上にわたる書評集を興味深く読めたのは「著者の力量」以外の何ものでもないだろう。意外にも本書が著者にとって「初の書評集」、非常に楽しみました。
次は、すでに本書の紹介で読んだ本
不実な美女か貞淑な醜女か(米原万里の「再発見」は最大の収穫の一つ)
他にも私の「次に読む本リスト」には、本書から多くが追加された。小説だけでない、多岐わたる「本」の紹介は本当に助かる。
今となっては20年以上も前の書評も含まれるが、まったく気にならない。例えば「ブンガク」や「文壇」の当時の騒ぎなど、今でもそれほど変わっていない気がするが、本書を読むと「時代は変わっていく」と痛感する。
見飽きたぜ、そんな女
『「おやじが見た女子高校生」物語』と題された、村上龍の『ラブ&ポップ トパーズII』の書評:
『ラブ&ポップ』中、唯一リアリティをもって読めるのが、情けない男たちを描いた箇所であるのが何よりの証拠である。おやじの生態を書いたって商売にならないというのなら、それこそ文学は要らないということになろう。アウトサイダーではない、フツーの男の「病理」を描かずして、少女たちの生態にのみ固執するやり方は、自分のズボンのチャックを開けたままで他人の服装の乱れを気にしているような間抜けさがある。P.48
私も『ラブ&ポップ』は読んだ、村上龍ファンであった私だが「大して面白くない」感想を抱いた記憶がある。「援助交際」が騒がれてた時期であるが、私はまったく興味がなく、「村上龍、なんでそんなことに首突っ込むの?」みたいに思ってた。この書評は、当時「何で面白くない」のかを明らかにしてくれたようでスッキリした。
『おーいブンガクよ、アホらしさを見習え』と題された書評、明智抄ほかによる『ハンサムウーマン』ではもっとスッキリする:
倦怠した不倫妻も、妙に神経過敏な女子大生も、挑発的な援助交際系の女子高生も、ここには一切出てこない。そういう女はもう見飽きたぜ。(略)本書の作品群とその主人公にあって、多くの文学作品とそのヒロインに欠けているもの、それはバカバカしさである。女性が主役の一人称小説にとって、これは貴重なことである。なぜって女の人は、思想信条のいかんによらず、ナルシシズムとなかなか縁が切れないから。世間も自分も笑い飛ばせる彼女らは、月並みな恋愛劇にも回収されない。旧来の「女流」のイメージが気持ちよく座礁、転覆する。P.84
奴らは何者?
妙に面白かった「有名」な事実:
1985年に阪神タイガースが優勝したとき(ああ、なんて大昔のできごとなのだろう)、ケンタッキーフライドチキンのカーネル・サンダース人形が熱狂したファンの手で胴上げされ、道頓堀に放り込まれたという有名な話がある。あの人形がランディ・バースに似ていたからであるらしい。P.650
勿論この出来事は知っていたが、強調した「胴上げ」「ランディ・バース」のことは知らなくて、かなり大笑いした。この後「放り込まれたサンダース人形」を捜索したテレビ番組のことも知ってはいたが「人形は見つからず」との記述に驚いた。「見つかった」と誤解していた。そして2022年1月19日掲載の日刊スポーツによれば、その後「見つかった」のは2009年そうだ。
上記書評は『カーネル・サンダースや招き猫、店頭に飾られた人形だちの不思議』と題された、井上章一『人形の誘惑 招き猫からカーネル・サンダースまで』の紹介。
このたびの調査対象は人形。といってもフランス人形や雛人形ではなく、登場するのは、くだんのサンダース人形に不二家のペコちゃん人形、薬局の前にいるカエルやウサギやゾウ。そう、これは、町中に当然のような顔で立つ人形の謎に挑んだ本なのである。P.650
たしかに、私が物心ついた頃から「当然のように奴らはいた」し、今もいる。先日、ちょっとした理由で病院の診察室に入って真っ先に気づいたのは、机の上に当然のような顔で「二本足で立つカエル」の人形。たしかに「奴らは何なのだ?」、読みたく(知りたく)なりませんか?(笑)
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