前作:アヒルと鴨のコインロッカー、次作:グラスホッパー
チルドレン 著者:伊坂幸太郎 文庫2007年5月15日初版(単行本:2004年5月) |
大好きな作品なので、読むのは2017年12月以来だが、内容はかなり覚えている自負はあった。しかし、第一編「バンク」から「あれ、こんな話だったかな?」となり、逆に嬉しくなった。不思議なことに、物語の結末を忘れている。これは、かなり「都合の良い」ことだが、再読時には嬉しいこと。
恐らく伊坂作品は私にとって、結末よりも、そこに至る過程を楽しんでいるから、結末を覚えていないのかもしれない。例えば、第三編「レトリーバー」の舞台「駅前の高架歩道」は、東京町田市駅の「ある場所」を想起させるのだが、それは2017年に初めて読んだ時もそうだった。物語の舞台は架空のものとはいえ、いつも身近に感じる。それが著者の物語に引き込まれる理由の一つなのかもしれない。
さて、二度目に読む「陣内」(正確には三度目、「サブマリン」は本作の続編)は、やっぱり「ロック」でカッコ良い:
意味不明で、でたらめな主張だったが、陣内さんの話には迫ってくる力があった。最後にはこうも言った。「そもそも、大人が格好良ければ、子供はぐれねえんだよ」P.229
本書を読むずっと前、同じようなことを、私は社会人になりたての頃に思った。誰かから聞いたのではなく、単に「卑怯でカッコ悪いガキども」を眺めながら感じた記憶がある。
私にとっての「格好良い大人」は、私のガキの頃は周囲にたくさんいた。具体的に「この人」ということではなく、自分たち子供のとは違う「大人の世界」を感じていた。その後、小学生高学年ぐらいからテレビの映画放送を観るようになり、「ロードショー」や「スクリーン」の映画雑誌を購読、「カッコ良さ」を外国人俳優や女優に見るようなる。その後、洋楽にのめり込むと、ミュージシャンに「カッコ良さ」を見つけた。
生き方の「手本」があるとすれば、それは「憧れ」から来ると思っている。「格好良さ」と言っても良い。「それは格好良くないなぁ」と思える人は、大人であれ子供であれ、ぐれることはないだろう。
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