2024年8月11日日曜日

複眼の映像 私と黒澤明

複眼の映像 私と黒澤明

著者:橋本忍
発行:2010年3月10日初版(単行本2006年6月)

この画像は映画「生きる」の冒頭:
はじめに「橋本忍」と読んでもピンと来なかったが、この縦書きの映像の「橋本忍」の名前、特に「黒澤明」とセットで印象深く私の記憶にある、「小國英男」も同様だ。

この三人は「七人の侍」でも共同脚本している。その執筆の模様は非常に興味深い。橋本忍の脚本家としてのデビューは、黒澤明と共同脚本「羅生門」、その後は「生きる」、そして「七人の侍」。デビュー前、橋本忍が伊丹万作の「唯一の弟子」であったことは特筆すべきだろう。

私は黒澤明と小津安二郎の作品は好んで観たが、他の日本映画には詳しくない。それでも橋本忍が書いた黒澤作品でない脚本は、名前だけは知っていた。「ゼロの焦点」「切腹」「白い巨塔」「日本のいちばん長い日」「日本沈没」「私は貝になりたい」「八甲田山」「八つ墓村」...、凄いなとしか言えない...。

映画やドラマ制作へ示唆に富む本書は、少しも色褪せず、「ロボットが脚本家の仕事を奪う」などの脅威論で騒ぐ昨今、その重要さ寧ろは増している気がする:
映画の制作に一番重要なのは脚本で、その脚本にとり最も重要なのは、一にテーマ、二にストーリー、三に人物設定(構成を含む)であることは、映画の創成期からの定説だが(略)P.126

伊丹さんに脚本を見て貰っていた時、私がその三要素をおざなりにすると、伊丹さんは烈火のごとく怒り、テーマを絞れ、ストーリーは形のある短いものにしろ、人物は彫れるだけ彫れと、執拗なまでに声を荒らげる。(略)P.126

黒澤さんのホン作り ー それは脚本の基礎の三条件を、愚直なほど一つ一つ几帳面に積み重ね、石橋を金槌で叩いて渡る、石部金吉金屋の鉄兜のような手堅いもの。P.127

海外の映画祭などで、諸外国の監督やプロデューサーと話し合っていると、『羅生門』や『七人の侍』より、この『生きる』に興味を持ち、脚本作りの動機や経緯を執拗に訊かれることが多い。この作品は ー 意外と映画の玄人筋にファンが多いのかもしれない。P.129

ここでは割愛するが、「七人の侍」の執筆時、登場人物たちを「彫って彫って彫りまくる」黒澤明の姿は興味深い。そして「絵を描ける」黒澤明の「強み」を改めて思い出し、George Miller が黒澤明に重なって見えた。

本書は「楽しい発見」ばかりではない。橋本忍の黒澤作品への「辛口の評価」も少なくない。原節子の評伝を読んだ際にも同じような気持ちになったが、その評価も「一つの真実」として受け入れるべきだろう。「事実」は黒澤明本人にも分からないだろうし、橋本忍の評価が正しい場合もある。

「第二、第三の黒澤明」について:
黒澤明の条件は先ず優れた感覚と才能があり、高水準の映画脚本が書ける人であること。と同時に周辺に同じ高水準のライターが三、四名が実在し、作品ごとにチームを組み、その内の一人もしくは二人と、同じ机の上で、同じシーンをどちらが上手か熾烈な競争をして書く、特殊な執筆方法で作り上げた、複眼の眼による完成度の高い共同脚本を現場に持ち込むのが基本条件である。P.388
優れた監督はこれからも次々と出てくるだろう。しかし、黒澤明は一代限りで、第二、第三の黒澤明の出現などは永遠にあり得ない。P389

共同脚本については、かなり前から海外の作品で採用されていることに気づいていた。「日本もそうしたら良いのに」と思っていたが、近頃では日本でも共同脚本の動きはあるようだ

共同脚本の方式が日本発祥かどうか不明だが、世界的にも「羅生門」「生きる」「七人の侍」の評価が未だに高いのには「訳」があるように思う。その「訳」の一端なりを読み取れる本書は非常に貴重だ。
二十代で「粟粒(ぞくりゅう)性結核により余命数年」と宣告されて以来、「あと三年以上、生きられると思ったことは一度もないよ」とおっしゃっていた。腎臓も一つしかない。しかしその橋本忍が、とうとう黒澤組の脚本家における最後の生き証人になってしまった。だからこそ、ぜひとも書いてほしかった一冊である。

"Rashomon", "Ikiru", "Seven Samurai" は世界に広く知られている(先日観たYouTube動画で、初来日した高校生らが「羅生門跡」を訪れていた)。英語のドラマやポッドキャスで何度か "Rashomon" を耳にした。何のことか不明だったが、後に "Rashomon effect" と知る
ひとつの出来事において、人々がそれぞれに見解を主張すると矛盾してしまう現象のことであり、心理学、犯罪学、社会学などの社会科学で使われることがある。映画『羅生門』に由来する。

橋本忍、そして黒澤明を筆頭に「黒澤組」が残したものは偉大で色褪せることはない。

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