2024年8月29日木曜日

冷たい校舎の時は止まる(上)

冷たい校舎の時は止まる(上)

著者:辻村深月
発行:2021年5月18日第46刷(初版2007年8月10日、単行本2004年6月)
読了した本をここでは取り上げているので、辻村深月は『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。 』だけを読んだことになっていた。かなり面白かったのでデビュー作の本書を選んだ。ところが、読み始めてすぐに「この本、読んだぞ!!」と気づく。登校中の登場人物を、当時読みながら思い描いた景色(雪が降ってる通学路)とあわせて鮮明に記憶していた。

ブログの投稿を、下書きも含めてすべて検索したが、本書の記述はどこにもない。読み進めると、どうやら、主要な登場人物の全員が登校したところまで読んでいたようだ。それ以降の内容に記憶がない。

気になるのは「いつ読んだか」なのだが、『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。 』で著者のことが気に入ったのが2022年9月、よって「それ以前」となる。なぜなら、気に入った著者なら「最後まで読もう、面白いはず」となったはずだから。

この点をもっと詳しく言うと、端的には「中盤あたりから読むのが苦痛」になった。前回、途中で止めた理由は不明だが、今回と大差はないだろう。ただ、当時よりその理由を明確に言える。伊坂幸太郎の『逆ソクラテス』の投稿で記した:
アニメや漫画で、特に学園ものが顕著だが、私が抱く違和感は「子供がそんな表現は使わない」し、「大人(=作者)が、架空の子供に作者の理想を言わせてるファンタジー」と思ってしまう。

本書の場合は「高校三年生」で『逆ソクラテス』の場合よりは「大人」なのだが、それでも「高校生が、そんな他人や自己の分析を雄弁にできるかな?」の疑問。それも「饒舌」なほどに語るのだ。有名な進学校で、頭の良い生徒の設定なのだが、それでも「雄弁すぎないか?」の疑問。私も高校は進学校で、かなり頭が良い連中のクラスにいた。しかし、この小説のような「語り口」ができる人はいなかった。単に私が「呑気に過ごしていた、大して賢くない生徒」だったから気づかなかったのか?

とはいえ、この「雄弁さ」が著者の持ち味なのかもしれない。本書の評価が高いことも知っている。が、私には「合わない」。ある重要な点を述べるまでに「前置き?」「前振り?」的な文章が長いのだ。「それ、カットしても良くないか?」と思ってしまう。

それでも「雄弁さ」を読ませる「力」はあると思う。若干苦痛ながらも「上巻」を読み終えたのだから。しかし「下巻」を読む気が失せたのは「怪奇現象」。次々と起こる出来事が「怪奇現象」としなければ「オチがつかない」のだ。「実際の現象」として説明不可能で、仮に「下巻」で何らかの説明があっても「何だそれ!」という予感しかない。ということで「下巻」は読まないことにした。


ホストはホスト?

この怪奇現象を演出してるのが「ホスト」のようだ。その「ホスト」の存在を予想する、被害者?側の生徒も「ホスト」という用語を使っている。「ホスト」ってそこまで一般用語なのか? 作者は "host" の意味を

客をもてなす主人、何らかの主催者、何らかの司会者

で使ってると思う。

今では「ホスト」は、(日本では)次の辞書にあるような「ホストクラブ」を最初に連想しないだろうか?
単行本出版時の2007年、当時「ホストクラブ」の用語がなかったとしても、「ホスト」を日常で使った記憶が私にはない。思うに、「アニメや漫画」で「ホスト」という用語が使われていそうな気がする。「主催者」「進行役」よりは「ホスト」とした方がカッコ良い印象を与えるのかもしれない。

「この怪奇現象の主催者」もしくは「この怪奇現象の黒幕」でも良いと思う私には、アニメや漫画のセンスはないのだろう(笑)つまるところ、本書を「漫画っぽい、アニメっぽい」と評すれば、私が好まない理由がハッキリする。

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