Hearts of Darkness: A Filmmaker's Apocalypse 脚本:Fax Bahr, George Hickenlooper 監督:Fax Bahr, George Hickenlooper, Documentary footage: Eleanor Coppola 公開:1991年11月27日 邦題:ハート・オブ・ダークネス コッポラの黙示録 |
『ノーツ コッポラの黙示録』の Coppla 家のことの多くが省かれたためか、「ヒトと状況」が "going insane"(狂っていく)様子が伝わる。
これは、"Apocalypse Now"(地獄の黙示録) 完成後のフランスでの記者会見と思われる:
次第に
我々は気が狂っていった。
ハエのようなヘリコプター群、この好きなシーンにも、当たり前だが絵コンテがあった:
本作を通して映画監督 Coppola の「凄い映画作り」を体感したし、「巨匠」と呼ばれる監督であっても、「ふんぞりかえって凄い作品を作ってるわけではない」という、当たり前のことに気づく:
本作を通して映画監督 Coppola の「凄い映画作り」を体感したし、「巨匠」と呼ばれる監督であっても、「ふんぞりかえって凄い作品を作ってるわけではない」という、当たり前のことに気づく:
俺はそれでもこの作品を完成できる。
この Coppola の発言は、Kurtz 役の Marlon Brando の突然の出演拒否に対して。3億ドルのギャラのうち1億円を既に払っているのにである。
君らは戦っている。
私の日本語訳はイマイチだが、このセリフにはグッときた。5年ほど前、仕事で親しくなったベトナム人に、飲み屋で「ベトナム戦争をどう思いますか」と尋ねたら、「まったく無意味な戦争」と即答。一つの正し答えだと思った。
その後も撮影を難航させる事態は続発。
この事態に
Marty's had a heart attack, and Francis does't want to admit it.Martyが心臓発作になって、Francis (Coppola 監督) は認めたがらなかった。
Coppola の発言:
Marty が心臓発作だって!
なんだそりや?
そりゃそうだ、エンディングのシーンまで辿り着けてないのに、中心人物の Martin Sheen が欠けると、それこそ作品完成は難しくなる。Martin Sheen の出演作を多くは観てない私だが、Apocalypse Now の Martin Sheen は凄く良い。Coppola にとっても作品に欠かせない役者と認めていたはずだ。
Martin Sheen 不在中でも、撮れるシーンは撮り続けたようだ。背中だけの Martin Sheen は別人の可能性もあるということだ:
Apocalypse Now の規模で、撮影セットを作り上げ、デジタル加工がない「生の撮影」の作品は、現在は作ることは稀(制作費、スケジュール等が理由で、やれないだろう)。デジタル加工された映像も、昨今では優れている作品も少なくない。しかし、私にはどこか「綺麗すぎ」て「リアルさに乏しい」となってしまうことがほとんど。これが、ちかごろ最近の映画を「観ようとするが観てない」理由かもしれない...。
こんな風に撮影してたんや...:
Marlon Brando が撮影現場に登場してからも「災難続き」だが、その点は省略。Marlon Brando みたいなことをすれば、現代では「干されそう」なものだが、Marlon Brando だから許されるのか?つまり、れだけの魅力がある役者なのだろう。
最後に、翻訳しないが印象的なシーン:
PS
次は解説がないので不明だが、実際のベトナム戦争の映像と想定。子犬を抱えたこのシーンが、Apocalypse Now の子犬のシーンを作り上げたのかもしれない:
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