2024年9月13日金曜日

天気待ち 監督・黒澤明とともに

天気待ち 監督・黒澤明とともに

著者:野神照代
発行:2004年3月10日文庫初版(単行本:2001年1月)

黒澤明の作品作りの過程に、本著者の野神照代より多く立ち会った人はいないかもしれない。そんな期待で本書を手に取ったが、それは予想以上で、橋本忍の『複眼の映像 私と黒澤明』よりも「生き生きとした黒澤明」を垣間見ることができた。

驚いたのは『複眼の映像 私と黒澤明』と同様に、冒頭から伊丹万作のことが出たこと。とはいえ、第二次大戦前後の状況の映画界を想像すれば、後世に残る脚本家や映画監督同士の「繋がり」がないことの方が不自然なのだろう。


イメージを鮮明化

もっと驚いたのは、野神照代が伊丹万作の息子「岳彦」が松山東高校に入るまで、京都で「岳彦の世話係」をしていたこと。この「岳彦」は後の伊丹十三、以下の「伊丹さん」とは伊丹十三のこと:
伊丹さんは小学校のころから、ひとり教室に残って黒板に絵を描いてるような子だった。描くものがないと指の爪にまで描いていたそうだ。
(略)
絵描きが映画監督に転身するとは限らないが、優れた映画監督には絵のうまい人が多い。エイゼンシュテイン然り、フェリー二に然り、小津安二郎も黒澤明もそうだ。
黒澤さんもかつて画家を志した人である。今は撮影のために絵を描いているだけだ、と言う。絵を描くことで、いやでも対象の細部まで考えざるを得ない、と言うのだ。
この鎧の紐はどう繋がっているのか、とか、この衣装の柄はどんなものだったかなど、描くことによってイメージが鮮明になる、と言われる。P.29

セルゲイ・エイゼンシュテインはソビエト連邦の映画監督、フェデリコ・フェリーニはイタリアの映画監督、脚本家。

私は絵は描かない(密かに勉強中)が、「描くことによってイメージが鮮明になる」は、仕事で提案書や設計書などの資料を作成する際にやっている。例えば「システムの動くイメージ」を(他人から見たら)「殴り書き」で「イメージを具体化」している。最終資料では、読み手に「より具体的」に伝えるために「絵」は必須となる。


「怖い」だけじゃない

私が黒澤明のことを知った時点では「世界のクロサワ」だった。同時に黒澤明は「現場で怒鳴り散らす」と何とか、「怖いイメージ」が一般的だった気がする。でもさ、「怖い」だけであれだけの長期間、大人数の制作スタッフや俳優らを「指揮」して、あれだけの面白い作品を作れるはずはないのだ。

「指揮」と意図的に使ったのは:
黒澤さんはよくこう言われる。
「映画監督という職業が何に一番よく似てるかっていうとね、オーケストラのコンダクターなんだよ」と。
そうかもしれない。一個人の意思、目的を、大ぜいの赤の他人によって表現するところは共通するものがあるように思える。P.237

私はいつの頃から「もし才能と機会に恵まれていたら、なりたい職業」が

映画監督かオーケストラの指揮者

と思うようになった。

才能豊かなギタリスト(または何らかの楽器奏者)も捨てがたいが、才能や技術が豊富な人たちを束ねて、一つの「作品」を作り上げる魅力の方が勝る。

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