Bruce Lee: A Life 著者:Matthew Polly 発行:2018年6月5日 |
ウルトラマンの怪獣に次いでの憧れ
実在の人物では最初の憧れの人
幼いながらも、雑誌等を漁りながら Bruce Lee に浸っていた。インターネットはないし、テレビからの情報もない(あったとしても「ありきたり」の情報で、既に知っている以上のことは放送されない)。幼過ぎ、住む世界が狭過ぎ、そんな情報不足の中であっても「あるだけの情報」で私はかなり楽しんでいたと思う。
その後、たくさんの映画で他の俳優を知り、音楽に浸るようになり、Bruce Lee に「浸る」ことはなかった。格闘技を始めたわけでもない。そして「熱狂的なファン」「何らかのコレクター」になれない私だが、「憧れの存在」として Bruce Lee はずっと私の中に存在した。
ボクシングを始め、次第に「自分のスタイル」が確立すると、Bruce Lee の動きが無意識に浮かぶようになった。そうなるのは、見まくった、想像しまくった Bruce Lee の格闘シーンが理由の一つなのだが、本書を読んでこれまで以上に明らかになった。更に、この夏の「パリオリンピック」のフェンシング競技を「Bruce Lee や!」と関心しながら観戦した、それも本書が原因。
さて本書だが、実はひと月以上前に読み終えていた。かなりの分量の内容だが、一気に読めた。ガキの頃の記憶から、彼の生い立ちから死後までの流れは熟知していたので、そこに本書からの詳細を「補完」するという感じで読んだ。特に The Big Boss(ドラゴン危機一髪)から Enter the Dragon(燃えよドラゴン)の制作あたりは、楽しくて数時間も没頭して読んだ。Bruce Lee も含めて、映画の登場人物たちが「語る」ところは非常に楽しい。実際の会話とは一致しないにせよ、事実を踏まえた会話なので、リアリティがある。
Bruce Lee は「ヒトを超えた象徴」的な存在だったが、本書から読み取れる Bruce Lee は「生々しいヒト」なのだ。強さだけなく「弱さ」もある、Bruce Lee 自身にとっても、その家族や関係者、そしてファンも「知りたくなかった」であろう事実も「赤裸々」に明かされている感じだ。私にとって、これほど Bruce Lee を「身近に感じる」という経験はなかった。
読み終えて直ぐに、この投稿ができなかった理由は二つ:
・あまりにも書きたいことが多過ぎ
・第24章 the last day of bruce lee、第25章 the inquest を読んで辛くなった
「辛く」なったのは「読みにくい」のではなく、内容的に「悲しくて辛い」ことだから。亡くなったのが32歳で1973年7月20日であったことは脳裏に焼き付いていて、本書がその日に近づくにつれて「重い気持ち」で読んだ。幼いながらに読みあさった雑誌や「Bruce Lee 本」には、「亡くなった日の出来事」「その後の出来事」の詳細はなく、私には新たな情報ばかりだった。
aesthetic と philosophy
例えば次:
His obsession with training and nutrition was not only about performance but also aesthetics. His passion may have been the martial arts but his profession was acting.
パフォーマンスだけじゃなく「美学」。彼の情熱は武道に注がれていたかもしれないが、彼の仕事は演じることだった。
Bruce Lee を perfectionist(完璧主義者)と本書でも評される箇所が多いが、それは aesthetic を目指した結果だと思っている。「妥協を許さない」とか「ブレない心情」などでも表現できるが、この二つで端的に表せると思う。誰もができることじゃないし、その価値を見出せない人だって少なくない。やれてる人、達成している人に私は「憧れる」のだ。
以下、本書からの引用を記すが、次の二つは意図的に除外した:
・本書で明かされた死因
・ The Big Boss(ドラゴン危機一髪)から Enter the Dragon(燃えよドラゴン)の制作秘話
制作秘話は、作品を見直したあとに引用できればと思ってる。
afterword(あとがき)から、何故に本書がこれほど「充実」した内容になったかが窺える:
My methodology was fairly simple. I watched everything Bruce had ever done and took copious notes. I read everything that had ever been written about Bruce and took copious notes. And then I interviewed everyone who had ever known Bruce and was willing to talk and took copious notes. Then I compiled these notes into a single Word document in chronological order. The final file was over 2,500 pages and a million words long.
本書が「認定された自伝でない」ことは Becoming Steve Jobs と同様:
I should clearly state, however, that this is not an authorized biography. Beyond granting two interviews, the Bruce Lee Estate had no involvement in this project. The content, analysis, and conclusions expressed in this book are mine alone.
Bruce Lee の格闘シーン、特に The Way of the Dragon(ドラゴンへの道)から、ファイティングスタイルに「ボクシングの影響」を予感したが、本書でそれが事実であると知った:
Bruce became an avid fan of pugilism and began borrowing moves from its champions: Muhammad Ali’s footwork and timing, Sugar Ray Robinson’s bobs and weaves. At this point Bruce still thought of himself as a Kung Fu Man, but he was beginning to merge the best of East and West. It was an approach that would last the rest of his life, characterize his own art, and eventually lead to a new paradigm in the martial arts.
high kicks について:
In his practice of the martial arts, he was developing a distinction between what was effective for him as a fighter (the martial) and what looked good as an entertainer (the arts). Low kicks, for example, were for fighting, while high kicks were for film.
映画撮影向け(芸術)、ファイター(格闘)でスタイルを変えていた。Jeet Kune Do は実践的過ぎて映画には向いてないと分かる。
high kicks を Bruce Lee に認めさせたのは Chuck Norris のようだ:
“Bruce didn’t believe in high kicks. He kicked only below the waist. I finally convinced him that it was important to be versatile enough to kick anywhere. Within six months he could kick with precision, power, and speed to any area of the body,” Norris claimed.
本書のような評伝が楽しいのは、詳しくなかった歴史上の出来事を知れること。今回は、第二次大戦前後の、中国(香港)から見た日本の描かれ方。日本にいて学校だけで歴史を学ぶと、外国の視点から「昔の日本」を知ることは難しい。
そして「人種差別」、アメリカでの Bruce Lee が味わった俳優としての苦労は想像以上。香港でスターになった後の苦労も同様:
But perhaps most important in this age of polarization and ethnic strife is the example he set and espoused. As a Eurasian, he faced discrimination from both sides of the East/West divide. He never let it stop him. Instead he preached a message of post-racial unity. “I think of myself as a human being, because under the sky, there is but one family,” Bruce said. “It just so happens that people are different.” And he practiced it. He accepted anyone who wanted to learn from him. His first student in America was Jesse Glover. “If he felt you were sincere, Bruce taught you,” Taky Kimura recalls. “He didn’t care what race you were.”
分裂や民族的対立。Bruce Lee は Eurasian(ヨーロッパとアジアの混血)として、東と西の両方からの差別に向かった。
親に連れられて観に行ったと思う Game of Death(死亡遊戯)で Bruce Lee を初めて観た私。当時の私は幼過ぎて「人種って何?」の年頃。そんな私に強烈な印象を残した Bruce Lee、「カッコ良さ」「美しさ」、そして「正しいこと」なんて「人種と何の関係もないのだ」と、今にして思う。
ボスニアでは70-80年代にブルース・リーが大人気で、発案者の1人は「異なる民族が共有するものの1つがブルース・リーなんだ」と強調した。
2005年11月26日:Bosnia unveils Bruce Lee bronze
0 件のコメント:
コメントを投稿