The Theory That Would Not Die: How Bayes' Rule Cracked the Enigma Code, Hunted Down Russian Submarines, and Emerged Triumphant from Two Centuries of Controversy 著者:Sharon Bertsch McGrayne 発行:Paperback 2012年9月25日(Hardcover 2011年5月17日) |
ここでの日本語訳は私のもの(部分訳の場合あり)。日本語訳版は参考にしていない。
"Bayes Goes To War" の章で Alan Turing の登場:
Despite the strange reputation of British mathematicians, the operational head of GC&CS prepared for war by quietly recruiting a few nonlinguists—“men of the Professor type”—from Oxford and Cambridge universities. Among that handful of men was Alan Mathison Turing, who would father the modern computer, computer science, software, artificial intelligence, the Turing machine, the Turing test—and the modern Bayesian revival. P.64
戦争に備え、言語学者ではない「学者タイプ」を、オックスフォードとケンブリッジ大学から密かに採用を始めた。その少数の中にいたのが Alan Mathison Turing で、彼こそが現代のコンピュータ、コンピュータサイエンス、ソフトウェア、人工知能、チューリングマシン、チューリングテストの生みの親であり、そして現代ベイジアンを復興させたその人。
戦争とベイズ
「科学技術の進歩」は現代では、ビジネスで「いかに儲けるか」の背景が強いだろうが、「戦争が背景」だった時代があった。本章には、馴染みのある人の名前や学術的手法がたくさん登場。戦争の歴史に興味がない私でも、前のめりに読んだ。
「なぜ戦時中、頻度主義確率は使われなかったのか」に対して:
Oddly, the Allies’ top three statisticians were sidelined during the war. Harold Jeffreys was ignored, perhaps because he was an earthquake specialist and astronomy professor. British security apparently considered Ronald Fisher, the anti-Bayesian geneticist, to be politically untrustworthy because he had corresponded with a German colleague. Fisher’s offers to help the war effort were ignored, and his application for a visa to the United States was rejected without explanation. A chemist calculating the dangers of poison gas succeeded in arranging a visit to Fisher only by claiming he was collecting a horse nearby. As for Jerzy Neyman, he persisted in carrying out full theoretical studies that could lead to a new theorem even though the military desperately needed quick and dirty advice; one of Neyman’s grants was formally terminated.
奇妙なことに、連合国のトップ3の統計学者たちは第二次世界大戦中は外された。Harold Jeffreys が無視されたのは、地震の専門家で天文学教授だったから。イギリス保安局が、反ベイジアンの Ronald Fisher を政治的に信頼できないとしたのは、ドイツ人の同僚と定期的にやり取りをしていたから。Fisher の戦争遂行への手助けの申し出は無視され、彼のアメリカへのビザの申請は理由もなく却下された。(略)Jerzy Neyman については、軍部が「間に合わせ」の提案を強く望んだにもかかわらず、彼は新しい定理に繋がる可能性のある、理論的検討の実施に固執した。Neyman への助成金の一つが公式に打ち切られた。
この投稿では「ベイズの使われ方」を取り上げたが、冗長を嫌っていつくかは割愛した。
Turing was developing a homegrown Bayesian system. Finding the Enigma settings that had encoded a particular message was a classic problem in the inverse probability of causes. No one is sure where Turing picked Bayes up, whether he rediscovered it independently or adapted it from something overheard about Jeffreys, Cambridge’s lone defender of Bayes’ rule before the war. All we know for sure is that, because Turing and Good had studied pure mathematics and not statistics, neither had been sufficiently poisoned by anti-Bayesian attitudes. P.69
Turing は自らのベジアンシステムを開発中であった。特定のメッセージの暗号に用いたエニグマの設定を見つけ出すのは、「原因の逆確率」の古典的問題だった。Turing がどこからベイズを見つけたのか定かではない、独自に再発見したのか、偶然耳にした Jefferys の手法を適用したのか。Jeffreys は戦争前、ケンブリッジ大学で唯一のベイズルールの擁護者だった。Turing と (Irving John) Good が学んでいたのは純粋数学であって統計学ではなかった、二人とも反ベイジアンの意見に毒されてはいなかった。
本投稿のために、エニグマのことを調べた。主に「暗号の設定パターン総数」を書きたかった。総数だけ書くのは簡単だが、その理屈も必要と思い、色々と書いたが全部消した(笑)あまりにも長い投稿になって、別の機会があれば書くことにした。
驚異的な組み合わせ総数から「暗号解読」したとを賞賛したい!!
O.R. は10年ほど前に、「籠って本ばかり読む状態」の頃に出会った:
Typically, O.R. employed Bayes for small, detailed parts of big problems, such as the number of aircraft needed to protect a convoy, the length of crews’ operational tours, and whether an aircraft patrol should deviate from its regular flight pattern. P.78
一般的に O.R. でベイズを用いる対象は、輸送船団を守るのに何機の航空機が必要か、軍事行動の人員の数、巡回する航空機は通常の飛行パターンから逸脱すべきか、という大きな問題の「小さくて緻密」な部分。
O.R. とは operational or operations research:
複雑なシステムの分析などにおける意思決定を支援し、また意思決定の根拠を他人に説明するためのツールである。またゲーム理論や金融工学なども OR の応用として誕生したものであり、OR は政府、軍隊、国際機関、企業、非営利法人など、さまざまな組織に意思決定のための数学的技術として使用されている。
イギリスが葬ったもの
Unable to tell his staff about Bletchley Park, Eisenhower simply returned the paper to the courier and announced, “We go tomorrow,” the morning of June 6. He later estimated that Bletchley Park’s decoders had shortened the war in Europe by at least two years. P.81
Eisenhower が後に試算;Bletchley Park の暗号解読者たちは、ヨーロッパにおける戦争を少なくとも2年は縮めた。
歴史家の見積りによれば、エニグマの解読はあの戦争を2年以上は短縮させた、つまり1,400万人以上の生命を救った計算になる。
そんな彼らの功績を「葬った」のがイギリスの国策、Turing を「殺した」のもイギリス政府:
On the first day of Queen Elizabeth II’s reign, February 7, 1952, Turing was arrested for homosexual activity conducted in the privacy of his home with a consenting adult. As Good protested later, “Fortunately, the authorities at Bletchley Park had no idea Turing was a homosexual; otherwise we might have lost the war.” P.86
「幸運にも、Bletchley Park のお偉方は Turing が同性愛者だと知らなかった、知っていたら我々は戦争に負けていただろう」。
Even today, it is difficult to write—or read—about Turing’s end. In 2009, 55 years after Turing’s death, a British prime minister, Gordon Brown, finally apologized. P.86
Turing の最期については、今日でさえ書くのも読むのも難しい。2009年、Turing の死から55年を経て、イギリス首相 Gordon Brown がようやく謝罪した。
英国の誤り?:デジタルコンピュータの誕生
一般に確率の計算は面倒くさい。ベイズなら尚更で、それを「紙とペン」でやることの「非効率性」は誰でも分かる。そして「コンピュータで自動計算」は自然な流れ:
Code-naming the new Lorenz machines Tunny for “tuna fish,” a group of Britain’s leading mathematicians began a year of desperate struggle. They used Bayes’ rule, logic, statistics, Boolean algebra, and electronics. They also began work on designing and building the first of ten Colossi, the world’s first large-scale digital electronic computers. P.74
(略)用いられたのは、ベイズルール、論理学、統計学、ブール代数、そして電子工学。また10台の Colossus の一台目の設計と製造を始めた、それは、世界初の大規模なデジタル電子コンピュータであった。
Colossi は Colossus の複数形:
Colossus(コロッサス、本来の意味はロードス島の巨像の名)は、第二次世界大戦の期間中、ドイツの暗号通信を読むための暗号解読器としてイギリスで使われた、専用計算機である。電子管(真空管とサイラトロン)を計算に利用していた。
ここで「最初のデジタルコンピュータ」が気になった。Colossus は「暗号解読器」で現代の汎用的なコンピュータではない。以下によれば、1946年の米国のENIAC とのこと :
エニアック(ENIAC)は、1946年2月にペンシルベニア大学で公開され、世界で初めて実用化された電子式デジタルコンピューターです。正式名称は「Electronic Numerical Integrator and Computer」の略で、第二次世界大戦中の1943年から軍事目的、主に大砲の弾道計算のために開発が進められました。
Turing が最初に作っていた、そう誤解していた理由は後述。
第二次世界大戦では電信電話などの「通信の発展」もあった:
Shannon’s efforts united telegraph, telephone, radio, and television communication into one mathematical theory of information. (略)Bell Labs communications theorists were still developing extensions of Shannon’s theory and using Bayesian techniques extensively in 2007. P.77
Shannon の成果は電信、電話、ラジオ、そしてテレビ通信を、一つの数学的情報理論に統一したこと。(略)ベル研究所の通信理論家たちは、2007年現在でも Shannon の定理の拡張を続け、多方面でベイジアンの手法を用いている。
上記からは省略したが、Shannon もベイズ理論と Kolmogorov の確率理論を使っていた。ところで Shannon と言えば シャノン(=ハートレー)の定理 が浮かぶが、これまで Turing と並べて考えたことはなかった。Claude Shannon とは:
情報理論の考案者であり、「情報理論の父」と呼ばれた。情報、通信、暗号、データ圧縮、符号化など今日の情報社会に必須の分野の先駆的研究を残した。アラン・チューリングやジョン・フォン・ノイマンらとともに今日のコンピュータ技術の基礎を作り上げた人物として、しばしば挙げられる。Wikipedia
第二次大戦後、Turing たちの「暗号解読」の成果は、長きにわたって「闇に葬られた」:
A few days after Germany’s surrender in May 1945 Churchill made a surprising and shocking move. He ordered the destruction of all evidence that decoding had helped win the Second World War. The fact that cryptography, Bletchley Park, Turing, Bayes’ rule, and the Colossi had contributed to victory was to be destroyed. Turing’s assistant Good complained later that everything about decryption and the U-boat fight “from Hollerith [punch] cards to sequential statistics, to empirical Bayes, to Markov chains, to decision theory, to electronic computers” was to remain ultraclassified. P.84
ドイツが降伏した1945年の5月から数日後、Churcill は驚くべき行動に出た。第二次大戦の勝利に貢献した暗号解読の証拠を廃棄するよう命じたのだ。暗号解読法、Bletchley Park, Turing, ベイズルール, Colossi が勝利に貢献した事実が廃棄されることになった。Turing の助手 (Irving John) Good が後に抗議したのは、暗号解読、Uボートとの戦い、それら全てに関することが超国家機密になったこと。機密には、Hollerith のパンチカード, sequential statistics, empirical Bayes, Markov chain, decision theory, 電子コンピュータも含まれた。
黄色で強調した箇所、現代でも耳にする(パンチカードは、大学生の頃に教授が見せてくれたが、既に使う時代ではなかった)。例えば Markov Chain については何度か投稿した(MCMC:詳細 Metropolis Algorithm)。
At the laboratory, Turing designed the first relatively complete electronic stored-program digital computer for code breaking in 1945. Darwin deemed it too ambitious, however, and after several years Turing left in disgust. When the laboratory finally built his design in 1950, it was the fastest computer in the world and, astonishingly, had the memory capacity of an early Macintosh built three decades later. P.85
1945年、暗号解読に向けて Turing は、メモリ格納型プログラムを実行するデジタルコンピュータをほぼ完全に設計した。その取り組みに対して Darwin は野心すぎると軽視し、数年後 Turing は嫌気がさして研究所を去った。研究所が Turing の設計で製造したのは1950年、世界で最速のコンピュータで、驚くことに、30年後に作られた初期 Macintosh のメモリ容量があった。
この Darwin とは Charles Galton Darwin で、「進化論」の Charles Darwin の孫息子。
1946年のENIAC 発表、Turing は1945年に設計していたが、製造されたのは1950年。よって、最初のコンピュータはアメリカが作ったことになる。厳密には分からないが、Turing はアメリカと同じ時期にコンピュータを設計していたと想定される。
イギリス政府が超国家機密にした理由は無視したとして、仮に超国家機密にしなかった場合:(手法は公開されなくとも)暗号解読者を讃え、同性愛者への不当な扱いをしなかったとしたら...。Bletchley Park での実績から「生まれただろうビジネス」は想像に難くない。アメリカより先にコンピュータを作ったであろう(しかも「最速のコンピュータ」)し、それに伴う多くのビジネスが誕生しただろう。
例えば、Apple に相当する企業がイギリスに誕生した可能性はあるか? 私見だが、Hackers: Heroes of the Computer Revolution を読む限り、イギリスにアメリカ並みの「ヒッピー文化」も必要だったような気がする。つまり Apple のような企業は「アメリカだから誕生」したと思う。
いずれにせよ、イギリス政府の判断は「良かったとは思えない」。こんな風に考えるのは「ホイッグ史観」と軽蔑されそうだ:
このように、後知恵をもとに、はじめらすべてをわかっていたかのように歴史を語る姿勢は、「ホイッグ史観」と呼ばれて軽蔑される。『因果推論の科学』P.106
でもさ、こうやって「歴史から学ぶ」姿勢は大切だよな。
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