2024年11月29日金曜日

魔女の1ダース 〜正義と常識に冷や水を浴びせる13章〜

魔女の1ダース 〜正義と常識に冷や水を浴びせる13章〜

著者:米原万里
発行:2006年11月20日第13刷(初版 2000年1月1日)
「シモネッタ・ドッジ」のあだ名を持つ著者、本書でも炸裂。次はソ連の日本大使館の候補地の話し:
イギリス大使館並びの、願ってもない最高のロケーションに所在する建物をどうかと、ソ連側が問い合わせてきた。国交回復したての頃だから、ソ連政府も相当日本に気をつかったのかもしれない。
ところが、日本側は候補地の番地を知るなり、即座に迷うことなく断ったと伝えられるている。
「モスクワ市ヤキマンコ通りXX番地」P.99

私の育った長崎の田舎では「この言い方」ではなかったので、一般的な反応より薄いかもしれない。しかし、駐ソ連大使館には「偉い日本人」が駐在するし、日本人も多く訪れる。この「住所」が好まれないのは理解できる。「日本語の訳し方」で何とかならないかものか、とロシア語を全く知らない私は一瞬考えたが、多分無理!「そういう音」だろうし、「マ*コ」の響きは隠せないだろう(笑)

そう、言葉が「音」「響き」である以上、外国語同士で「別の意味」になるのは避けられない。本書でも「下ネタ」に遭遇する背景が述べられているが、非常に納得する。私だって遭遇した。大学のドイツ語の授業中、教科書のとある箇所を読むように先生から言われて、その文章の一部にあった

Ingeを「インゲ」

と発したところ、周囲から失笑があった。しかし、笑われた私自身は「笑いの意味」は不明で、以降も淡々と読んでいった。「ドイツ語」として読んでいると、日本語の「そっちの意味」は思いもよらなかった。

私の例を出すまでもなく、国際舞台で活躍する著者のような「同時通訳」の現場では、もっと捧腹絶倒なシーンが山ほどあるに違いない。シリアスな状況ほど「下ネタ度合い」が増すことは想像に難くない。

著者の本は『不実な美女か貞淑な醜女か』に続いて二冊目だが、彼女の日本語は読んでいて心地良い。決してい平易な書き振りではなく、むしろ「詰まった」印象だが、非常に「丁寧」だと思う。
音韻的にも、語彙的にも、形態的にも、文法的にも正確なパターンをどれだけ素早く大量に身につけられるかで、外国語学習法の善し悪しも決まる。昔から耳が腐るほど言われてきた「良い文章を書くには、良い文章を沢山読め」とか、「モノを見る目を養うには、イイモノを沢山見よ」とかは、まさに良きパターンを脳味噌にインプットするための戒めだ。P.138

近頃「美意識」について考えるようになった。この「意識」、そう簡単には育めない「意識」と思う。「正しい美意識」「誤った美意識」の判断はできないが、「豊かな美意識」「深い美意識」はあると思う。子供の頃から「何を見てきたか」「何に触れてきたか」「誰と接したか」などなど、美意識の育て方は多様だ。

例えば、何が「良い文章」で、何が「イイモノ」かの判断は、それこそ「主観的」で一般化は無理。しかしながら「良さ」は確かに存在する。その良さを捉えられるかどうかが「美意識」なのかもしれない。それは、一生かかかって育んでいくものだろう。

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