2024年11月21日木曜日

(再々読)魔王

前作:死神の精度、次作:砂漠
 
魔王

著者:伊坂幸太郎
発行:2023年1月17日新装版、旧文庫版2008年9月(単行本:2005年10月)
2021年5月に二度目を読んで、今回三度目。「さすがに物語展開は覚えているだろう」の予想は若干当たった。だからと言って、楽しめなかった訳ではない、むしろ面白かった。

興味深いのは、20年前の作品でありながら、現在の政治状況を反映していること。その点については、斎藤美奈子の旧文庫版の解説に同感:
にもかかわらず、『魔王』には、その後の政治状況を彷彿させる、もしくは予言しているかのように見える部分がいくつもある(それとも、政治の状況なんていうのは、いつの時代もたいして変わらないってことだろうか)。P.362

次は巻頭の「エピグラフ」:
「とにかく時代は変わりつつある」『時代は変る』ボブ・ディラン
「時代は少しも変わらないと思う。一種の、アホらしい感じである」『苦悩の年鑑』太宰治
これも斎藤美奈子の解説が見事:
ボブ・ディランがこのように唄った1964年は、公民権運動やベトナム戦争が激化する直前の、まさに時代の変革期にあたっていた。一方、太宰治がこう書いたのは1946年で、「一種の、アホらしい感じ」とは、太宰が幼少時に体験した大正デモクラシーと敗戦後の戦後民主主義とは同じようなものであり、個人の生活にとってはドラマチックな転機でも何でもないという白けた気分を指している。 
というような歴史的背景はあるのだけれども、相反する二つの言葉は、私たちの心中に同時に存在する二つの気分を巧みに表している。P.365

「ものごと」、それを「時代」と呼べば、「時代は変わる」のは明らか。「激動の時代」とか言うのは、「あとから振り返れば」の話。渦中で「時代の変化」を感じるのは難しい。多くの人が「流される」のかもしれない。
「スカートを直す人間に、ってこと?」
「他の人たちが暴れたり、騒いだりするのは止められないでしょ。そこまでの勇気はないよ。ただ、せめてさ、スカートがめくれてるのくらいは直してあげられるような、まあ、それは無理でも、スカートを直してあげたい、と思うことくらいはできる人間でいたいなって、思うんだよね」P.321
「大きな洪水は止められなくても、でも、その中でも大事なことは忘れないような」P.322

そんな「流れ」の中にあっても、「大事なことを忘れない人」は存在する。「それでも時代は変わる」のだから。

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